趣味のピジョンスポーツ 第14回「未来の鳩王国」を担う 現・協会最年少連合会長 浜川淳士郎さん(宮古島連合会)
今年で37歳となる浜川淳士郎さんは、宮古島バブルの象徴というべき「伊良部大橋」で有名な伊良部島でピジョンスポーツを楽しんでいます。レース鳩の飼育を始めたのは小学生の頃。伊良部島では当たり前に「ピジョンスポーツ」というホビーが認知されており、疑似鳩レースである「鳩飛ばし」という遊びにとても夢中になったそうです。
そんな鳩少年だった浜川さんですが、鳩レースに参加したのは高校生から。同級生の鳩仲間が結果を残していく中、浜川さんは大学進学で離島するまで一度も多良間島からの100Kすら帰すことができなかったようで、「鳩レース」は苦い青春の一コマとなっていました。
家業である畜産関係の勉強を終え、彼が伊良部島に戻ってきたのは27歳の時。最初は学生時代のトラウマから鳩レースを避けてきたものの、周囲の先輩、同級生からの熱烈なアピールに絆され、11年に再開します。すると1シーズン目で「多良間」での帰還に成功。後日ながらもうれしすぎて、地元の鳩仲間全員に電話をしたそうです。
待ちに待った「多良間からの使者」は、子供の頃から憧れていた地元の強豪・狩俣智克さん作の孫鳩でした。そして翌年の秋には「多良間」どころか、200K離れた「石垣島」からも帰還を果たし、浜川さんのモチベーションとテンションは一気に上がります。結果、13年の作出数は再開当初の3倍以上―100羽に膨れ上がりました。
さて彼の所属する宮古島連合会での最終レースは「与那国」からの300Kです。短距離といえど侮るなかれ、コースの9割以上が〝海〞であるため、風の読みを一歩間違えるとレース自体成立することさえ困難…。浜川さんも昨年初めて放鳩に行ったようですが、帰還方向は「見渡す限り海」とのことで、この環境でも帰れるレース鳩のすごさを実感したそうです。
1000K超に匹敵するほどの難易度から、「与那国」から帰すことは地元鳩界にとって「最高のステータス」となっています。14年、浜川さんはわずか再開4年目でこの〝栄誉〞を手に入れます。3羽参加で2羽帰した上、自鳩舎トップはなんと当日帰り! 帰還を確認した時は喜ぶどころか、「何かの間違いなのでは」と混乱していたそうです。
その後、「与那国」同様に帰還さえ難しい「那覇」からのオープンレースで帰すなど、順風満帆なピジョンライフを満喫していましたが、最近は〝達成感〞からややスランプ状態に陥っているそうです。しかし昨年11月、連合会長に就任。穏やかな人柄に連合会への貢献、そして鳩レースを次世代へとつなげるために放鳩イベントを積極的に行うといった啓蒙活動が評価されたのでしょう。ともあれ、現在の日本鳩レース協会最年少となる連合会長となった浜川さん。これを新たなモチベーションとし、「与那国での勝利」はもとより、「未来の鳩王国」沖縄を盛り上げて頂きたいものです。