趣味のピジョンスポーツ 第17回「優しいお爺ちゃんのような仲間に囲まれて」 小島一紀さん(埼玉利根連合会)

自鳩舎で鳩を掴む小島さん。趣味のカラオケでは全国大会での優勝経験もあるとか。
鳩レースを行う愛鳩家は中高年の男性が中心ですが、中には女性や若い方々、またご高齢の方、家族で楽しんでいらっしゃる方々もいらっしゃいます。このカテゴリは、鳩レースを楽しむ「ヤング&ウーマン」、「シルバー&ファミリー」の皆さんに、レース鳩の魅力について伺っていきます。 今回ご紹介するのは、埼玉県にお住まいの小島一紀さん(32歳)。小学生の時、通学時に近所の鳩舎を見学したことから鳩飼育の道に踏み込み、20代半ばからレースを始められました。祖父と孫ほど年の離れた先輩たちに囲まれ、鳩レース道を歩んでいる同鳩舎。そこには、どんな道程(みちのり)があったのでしょうか…。

現在、会社員として働く小島一紀さん(32歳)が、鳩を飼い始めたのは小学4年生の時。きっかけは、近隣の住人が鳩を飼っていたことだといいます。
「学校の通学路沿いに住んでいた方が、鳩を飼っていて、毎日の学校の行き帰りに『この小屋は何?』と不思議に思っていました。ある日、小屋を覗いていると、飼い主のお爺さんが『鳩を飼ってみるかい』と、レース鳩を譲ってくれたんです」(小島さん)。

こうして自宅にあった鶏小屋を改修し、10羽の種鳩を飼い始めた小島さん。それからは、鳩を譲ってくれた近所のお爺さんの家へ鳩レースを見学に行くようになりました。その方の名は、当協会の埼玉東部連合会に所属していた小林さん。同氏は、幼き日の小島さんにとって「鳩の師匠」と呼べる存在です。

「レース鳩について、一から教えてもらいました。『掃除を毎日する』、『餌は腹八分目』、『鳩の病気は眼や糞を観察』など、基本は全て学びましたね。祖父を亡くしていた僕にとって、まるでお爺ちゃんのような存在でした」。

こうして鳩を飼い始め、小学生ながら配合や作出も行っていた小島さん。当然、鳩レースにも興味を持ち、小林さんにヒナを預けて飛ばしていたそうです。

「初レースは小学6年生で秋300K連合会3位の成績を残したんですよ。自分で作った鳩が、鳩舎に帰ってきたことが嬉しくて。自分でもやってみたいと強く思いました」。

ところが、師匠の小林さんは、小島さんが中学2年生の時にご病気で亡くなられ、やむなくレース中断。しかし、鳩の飼育だけは続けたといいます。

「いつか鳩レースをやりたいという気持ちがありましたから。中学、高校は柔道部の部活が忙しかったため、祖母や母に飼育を手伝ってもらっていました」。

高校を卒業後、就職した小島さん。仕事が落ち着いた26歳の時、満を持してレース再開。この時、初めて当協会へ入会し、埼玉利根連合会に所属しました。
レースマンとしては新米ですが、鳩歴は16年のベテラン。初めて自分自身の力で参加したシーズンで、いきなり結果を出します。秋200Kレースで50羽を参加させて、全鳩帰還。これも師匠の故・小林さんの教えを子供の頃から忠実に守ってきた証でしょう。

これで俄然、鳩レースに対するモチベーションはアップ。さらなる好成績を狙うべく、連合会の諸先輩方に積極的に、教えを請うようになります。

多くの諸先輩方に指導を受ける中、特にアドバイスをしてくれたのが、連合会の強豪である矢嶋英夫鳩舎。「長距離を勝つには、餌と訓練で調整」との教えを受け、矢嶋さんが同行してくれたおかげもあり、仕事の合間を見つけ、マメに訓練を行うようになります。

その努力が実を結んだのが、16年の春シーズン。なんと関東三大長距離レースのジャパンカップ900K(桜花賞)で連盟8位に入賞、そして翌17年には、同レース連盟2位(総合42位)と、立て続けに長距離で連盟シングル入賞を果たします。

「余りに早く結果が出たので、信じられない気持ちでした。いろいろと教えて頂いた連合会の方々に感謝です。皆さん、優しくて、自分の叔父さんやお爺ちゃんのような感じ(笑)。特に矢嶋さんは『二人目の師匠』ですね」。

今年の小島鳩舎は、春Rg400Kで総合23位の成績。コロナ禍で残念ながら、レース中断となりましたが、同鳩舎の鳩レース熱は燃え上がるばかりです。

「それまでは『鳩が帰ってきてくれればいい』という考えでしたが、やはりレースは勝負事。負けたくないという気持ちが強くなりました。今後も、作出や管理を頑張りたい!」

現在、レース歴6年目。祖父と孫ほども年齢の離れた仲間達に囲まれ、鳩レースを楽しむ小島さん。これからも充実したピジョンライフを送ってもらいたいですね。

現在の師匠、矢嶋さんと。
連合会の仲間と共に

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