趣味のピジョンスポーツ 第20回「鳩はストレスを吹き飛ばす癒し」 菅原勝洋さん(大静岡連合会)
「子供の頃は、鳩が何百キロも離れた遠いところから帰ってくるなんて、思ってもみませんでした」。
静岡県静岡市で鳩飼育を楽しんでいる菅原勝洋さん(34歳)。子供の頃の鳩に対する知識は、全くありませんでした。それが一変したのは、小学2年生の時。父親が迷い鳩を保護して家に持ち帰ったことだったといいます。
「『この鳩は訓練すれば家に帰ってくるよ』と聞かされて、興味を持ちました。宮城県に住む飼い主の方が、その迷い鳩を譲って下さったのがのめりこむきっかけ」(菅原さん)。
早速、2歳年上の兄と飼い始めましたが、鳩の飼い方は全く分かりません。そこで近所の鳩を飼っているお宅へ訪問。様々な話を聞く内に、鳩レースのことを知りました。そして小学3年生の時、兄弟で当協会の大静岡連合会へ入会。幼い愛鳩家の誕生です。
「連合会の方々は、オジさんばかりでしたが、物怖じはしなかったですね。皆さん親切にしてくれて、鳩飼育のイロハを教わりました」。
初レースは96年秋の100K。30羽の参加で、帰還率は5割弱。嬉しさと共に悔しさも感じたといいます。
「当日は、兄と一緒に学校をサボって、鳩の帰りを待ちました(笑)。最初の帰還鳩の姿を見た時は大喜びしましたが、半分以上が失踪し、がっかりした気持ちもありました」。
その後、「鳩は血統が大事」と聞き、緑風系で有名な東京の山内邦昭鳩舎から3ペア、そして鳩レース界の巨匠である岩田誠三鳩舎も訪問し、2ペアを導入します。
「岩田さんには、子供ながらに『凄い人だ』という印象があり、とても緊張したのを覚えています」。
その翌年、いきなり結果が出ます。当時、中学生だった菅原さんが、桜花賞1000K総合9位に入賞したのです。
「長距離を帰したいという思いが強かったので、この時は感無量でした」。
さて、中学校を卒業後、金属加工会社へ就職したため、実家を離れた菅原さんは、鳩飼育を中断。次に鳩と出会うのは、13年後の28歳の時でした。
「仕事中、フッと鳩のことが頭に浮かんで…。昔、連合会長だった望月 一さんの鳩舎が、仕事場の近くだったので、『鳩を見せてくれませんか?』とアポ無しで訪問しました(笑)」。
鳩舎で鳩を見ている内、レースに対する情熱が再燃します。思わず「ハンドラーとして手伝いたい」と口走ったところ、望月さんは快諾。その後、望月鳩舎の敷地内に種鳩鳩舎を建てさせてもらい、分有鳩舎として連合会へ再入会。再び、菅原さんの鳩人生が始まります。
「もう一度、鳩を飼育する機会を与えてくれた望月さんには、感謝しています。子供の頃は鳩舎掃除が大嫌いでしたが、今は楽しくて仕方ありません。鳩好きが高じて、友人たちには『鳩マニア』呼ばわりされます(笑)」。
現在、毎年ヒナを10羽程度作出し、望月さんや近隣連合会の鳩友へ委託しつつ、鳩レースを楽しんでいる菅原さん。2019年には、望月 一鳩舎で春300K総合2位、会長賞(春Rg総合7位・地区N総合9位)、静岡吉田連合会の松井和憲鳩舎で桜花賞900K総合優勝(連盟AP賞1位・KBDB会長賞連盟1位)、20年秋には300K総合優勝(望月・菅原共同作出)と、彼が生み出したレース鳩たちが活躍しています。そんな菅原さんに、鳩の魅力を伺うと…。
「委託レースでも結果が出れば、楽しい。自分にとって、鳩は無くてはならない存在。ストレスを吹き飛ばす、癒しですね(笑)」。
多くの方にお世話になり、鳩飼育を続けている菅原さん。「できることは何でも協力したい」との言葉から、ピジョンライフ=感謝の気持ちという方程式が、浮かび上がってきました。