趣味のピジョンスポーツ 第18回「鳩レースで、苦手なコミュニケーションを克服」 菅井尋也さん(北関東連合会)

鳩舎前で鳩を掴む菅井さん。子供の頃に作った鳩舎を元に増築を重ねたそうです。
鳩レースを行う愛鳩家は中高年の男性が中心ですが、中には女性や若い方々、またご高齢の方、家族で楽しんでいらっしゃる方々もいらっしゃいます。このカテゴリは、鳩レースを楽しむ「ヤング&ウーマン」、「シルバー&ファミリー」の皆さんに、レース鳩の魅力について伺っていきます。 今回ご紹介するのは、栃木県にお住まいの菅井尋也さん(39歳)。小学生の時、迷い鳩を保護したことで鳩を飼い始めたという同鳩舎。子供の頃から鳩を愛してやまず「鳩が友達だった」というほど。鳩を通じて、苦手だった対人コミュニケーションを克服したという菅井さんですが、そのピジョンライフやいかに…。

「子供の頃から、他人とのコミュニケーションが苦手だったんです。でも鳩のおかげで、様々な方々と交流できるようになりました」。

こう語るのは、栃木県足利市で鳩レースを楽しむ菅井尋也さん(39歳)。現在、全国に販路を持つ軽運送業の「赤帽」で働いています。菅井さんと鳩との出会いは小学3年生の時、学校に迷い込んできた鳩を保護したこと。傷ついた鳩を家に持ち帰ったところ、昔、鳩を飼っていた父親から「レース用の鳩だから、飼い主に連絡してみよう」といわれました。すると…。

「飼い主の方から『この鳩は必ず自分で飛んで帰るから、元気になったら放して』といわれ、初めて鳩が自分で巣に戻れることを知りました。この鳩は優秀なんだと思い、それで自分でも鳩を飼ってみたいなと」。

その鳩は野良猫に羽根を傷つけられてしまい、自力で飛ぶことが難しく、やむなく自宅で飼育することに。ここから、菅井さんの鳩生活が始まります。

以来、朝起きては鳩小屋、学校から帰っては鳩小屋と、飽きずに何時間も鳩を眺める日々。ペットショップなどでレース鳩を飼って、徐々に飼育数を増やし、最盛期には40羽ほどを飼っていたのだとか。飼育方法は父親から教えてもらいました。当時は、鳩好きが高じて『鳩が友達』といった生活だったといいます。

そんな菅井さんは、中学生の頃から「本格的なレース鳩を見てみたい」と、隣町(佐野市)まで足を延ばし、鳩舎訪問をするようになります。その時に出会ったのが、当協会の北関東連合会に所属していた故・高橋加一さんでした。

「『鳩の話がしたい』との一心から、アポなしで訪問(笑)。快く受け入れてくれて。『大人になったら鳩レースをしたい』との思いを強くしました」。
その後、高校・大学への進学に伴い、県外での寮生活となり、しばし鳩とはお別れ。その間も鳩への思いは募る一方でした。そして就職後、経済的に余裕ができた27歳の時、鳩レースへの思いを実現に移します。

「鳩舎訪問で知り合った高橋さんにお願いして、同じ連合会に入会させて貰いました。最初は緊張しましたが、皆さん、僕のことを覚えていてくれて、『ああ、(中学生の時に見学に来ていた)あの兄ちゃんか』と、すぐに受け入れてくれました。種鳩を譲って頂くなど、たいへん良くして頂いたんです」。

レース歴が10年目となった昨年、春季Rg500Kで初めて連合会優勝(作出・野中 博鳩舎)を獲得したという菅井さんですが、「勝敗にはこだわらない」といいます。

「勝ち負けよりも、憧れていた大人の世界(鳩レースの世界)に参加できたことに幸せを感じています。でも最近、SNSで密かに競翔テクニックを学んでいます。特に、ベルギーの宮下博さんをリスペクトしており、ブログを参考にして、日々の管理に取り入れています。宮下さんとお会いして、鳩談議をするのが夢です」。

現在の目標は、関東三大長距離レースの一つ、東日本GN1000Kを帰還させることだという同鳩舎。最後に、これからのピジョンライフについて伺うと…。

「人間関係が苦手な性格でしたが、大好きな鳩を通じて、多くの方と出会い、学び、それを日々の生活や仕事に活かせています。僕は会社の仕事で全国各地を回りますので、この記事を名刺代わりに鳩舎訪問させて頂き、各地域の会員さんと交流を図りたいですね。その際はご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」。

子供の頃から、鳩一筋の半生を送ってきた菅井さん。これからも鳩や周りの方々への感謝の気持ちを持ちつつ、鳩が繋いでくれた縁(えにし)を大切にしていかれることでしょう。

合同訓練の持ち寄りにて。写真左より菅井さん、連合会長の若田部喜一郎さん、連合会の仲間である須藤康文さん

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