趣味のピジョンスポーツ 第12回「王道を歩む 〝生粋の若き競翔家〞」仲間将太鳩舎(琉球連合会)
沖縄鳩レース界は、若手の宝庫として知られています。宮古島で生まれ育った仲間将太さんは、小学生の時からレース鳩を飼育していました。彼曰く、「鳩レースは身近にあった環境」だったようで、最初に「飼いたいから頂戴」とおねだりしたのも同級生のお兄さんだったようです。このトレード話(?)は断られますが、近所の小鳥屋からワンペアを購入し、ピジョンライフがスタート。当初はヒナを作り、自分で飛ばすという「訓練スタイル」で楽しんでいたようですが、近所に〝ものすごい鳩飼い〟がいると聞くと、友達2人で直接足を運び、そこで鳩レースのイロハを学びます。
「迷惑な話かもしれませんが毎日通って、朝から暗くなるまでずっといましたね。狩俣智克さんと言いまして、〝にぃに(*兄の意)〟みたいな人。勝手に〝師匠〟と呼んでいましたね(笑)」。
狩俣さんからある小鳥屋で鳩レースを主催していると聞き、ジュニア部門にエントリー。宮古島内でのレースでしたが、帰ってくる姿を見ることがうれしくて、夢中になって遊んだ模様。この感動こそ仲間さんにとっての〝原体験〟となっています。
高校を卒業すると専門学校に通うために離島。と同時に鳩レースも卒業となったものの、30歳で沖縄本島に仕事で戻ってきます。そしてインターネットで本島内に競翔団体があると知るや否やその管理人である金城安雄さん(琉球)に連絡し、再開の準備にとりかかります。鳩舎を手弁当で建て、選手鳩は宮古島時代の先輩たちから募ると、沖縄本島で鳩レースが行われていると知ってからわずか1年で琉球連合会のレースに参加します。
ところが成績は全く振るわず、300Kで全滅してしまいます。「これはまずい」と思った仲間さんは、琉球連合会長である新垣良行さんをはじめ、同連合会の強豪鳩舎を訪問しまくったようです。
「沖縄本島で活躍したトリはどういうタイプなのか、使っている餌やサプリは何なのか、とにかく見て、掴んで勉強しましたね」。
活躍鳩の特徴を掴んだ仲間さんは〝師匠〟である狩俣さんに「勝てる鳩がほしい」とお願い。戦力を整えると2年目で300Kを克服し、600Kでも後日ですが帰すことに成功します。
「狩俣さんが送ってきてくれたのは、僕が子供の頃から大好きだった『ゴードン』。600Kで帰るなんて、さすが〝にぃに〟のトリだと思いましたし、こういうタイプなら長距離で通用するなと手応えを感じましたね」。
3年目に600Kで当日記録に成功すると、翌年も達成。後者である16年は琉球連合会で宮崎からの800Kを初めて成立させたことで、地元鳩界が大きく盛り上がったのですが、帰還した2羽のうちの1羽がなんと仲間さんのトリでした。帰還鳩の両親は、狩俣さんの作出鳩。連合会史に残る偉業だけに2人で喜びを分かちあったことは言うまでもないでしょう。
そして18年、仲間さんはついに600Kで初の連合会優勝を果たします。もたらしたのは狩俣さんの作出鳩。前述の800Kで2位に入賞した〝天将号〟と同じ、狩俣さんの基礎鳩〝アストロボーイジュニア号(*ゴードン系)〟の直系でした。
「自分と〝にぃに〟が信じてきた血統で優勝でき、もうめちゃくちゃうれしかったですね」。
仲間さんらの目標は「沖縄鳩界初の1000K記録」。レースマンとして王道を突き進んでいる上、30代、40代――若い力が集まっている地域だけに決して夢物語ではないかもしれません。
弱冠36歳。日本鳩レース界の高齢化は著しいですが、〝生粋の競翔家〟が沖縄という地で順調に育っています。