連載3-12、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

日本への伝書鳩の渡来 その二

さて、前回は、ローマ時代の最盛期から後期にかけて、鳩通信のシステムが開花し始めたところまでじゃったのう。

この後、11世紀末にはじまる十字軍の遠征時に、一挙に全ヨーロッパの耳目を集めるようになるのじゃ。鳩の改良に一大転機が訪れたといってもよいのう。

第一次十字軍の遠征(1096年~99年)には、このような話もあるぞ。

軍用鳩を固定通信の仕組みで有利に使用することのできた、守備体制にある回教徒軍は、鳩を使うにしても、効率の悪い移動鳩舎(移動鳩舎の訓練ができるまで、技術が進んでいたかは不明)が主体となるであろう攻める側の聖教徒軍を随所で圧倒していたが、1098年のホックラス城塞では、とんだアクシデントが発生したのじゃ。

このホックラス城に聖教徒軍を囲んだ回教徒軍は、例によって軍用鳩に連絡文書を託していたが、通信文を運搬中の1羽の鳩が、突如飛来した猛禽類に襲撃されて、聖教徒軍の陣地内に落下したのじゃ。重大機密はたちまちにして漏洩し、回教徒軍は自らの1羽の鳩のために、大敗北を喫したのじゃ。漏洩した理由は「(この頃は)まだ暗号文の使用を知らなかった」と、「伝書鳩の研究」(武津智彦著・大正11年刊)に書かれておる。

この事実からすると、当時すでに、機密文書を携えるに足る確実性の高い伝書鳩が作出されていたとみるべきじゃのう。

この時代は日本でいえば平安末期で貴族による中央集権体制も緩み始めており、戦闘を業とする武士が勃興する時期に当たるぞ。一方、カワラバトの源生息地の一つであり、動物の飼養を、特技の一つとする中国人の社会にあっては、どうであったかのう。

日本はご承知の通り、ヨーロッパや西アジア諸民族との直接交流は、16世紀半ばまでなく、それ以前はもっぱら文明の流入先を朝鮮半島と中国大陸に頼っていた。それらの隣接地域の蒙古(モンゴル)やインドとさえも、間接的な接触があったにとどまる。その理由からも、中国での鳩の飼養状況には、充分に関心を持ってみなくてはなるまい。

中国大陸では唐の時代の玄宗が即位した頃、710年代と思われるが、すでに鳩の飼養を明らかにする文献があるそうじゃ。

その文献は「詩経鵲巣釋文」といい、「詩経」(殷から春秋時代の詩311編を孔子がまとめたもの)の中で、表現されている鳥類の生態を説明した書物であろう。その一節に「張九齢という名高い人が、若い頃にたくさんの鳩を飼っていて、書信の往来をさせていた」という記述がある。この鳩は「飛奴」と呼ばれておったそうじゃ。おっと、そろそろ頁が少なくなってきたようじゃ。

では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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