連載3-34、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

国内への渡来 その十八

江戸時代の後期になると、日本鳩界の歴史を綴るうえで、貴重な事件が起きたのじゃ。この事件が起き、その史料が残っていたことによって、ハトを通信用に供することがご法度であったが、それでも秘かに鳩を使っておった人々が存在しておったであろうことが、実証されることになったのじゃと思う。

それは、天明三年…一七八三年の三月のことじゃ。光格天皇となり四年、将軍は徳川家治の治世下じゃった。大坂の江戸堀三丁目に住んでおった相模屋又市という米の仲買人は、かねてから、堂島での刻々と変動する米の相場をなんとか他の仲買人より迅速に知って、売買を有利に行い、利益を上げる方法はないものかと考えておった。

当時は、「旗振り通信」などという方法もあったが、これも公には庶民の利用は禁じられておったし、また大坂の町中では遮断物も多く、あまり有効な手段ではなかったのじゃ。一般人に許されておった唯一の伝達方法は、飛脚人足によるものしか、なくてのう。

そこで、相模屋又市は「切支丹の法」として、禁止されておったハトによる通信方法を思い立ったわけじゃ。

「…この年、大槻玄沢(おおつきげんたく)が蘭学楷梯(らんがくかいてい)を著している。あるいは、オランダ人から伝書鳩を得たものかと考えられる」と、大正十四年一月発行の「鳩の世界」第二巻第五号に、当時の逓信(ていしん)博物館主事・樋畑正太郎は付記しておる。

これは天明三年、ちょうど天明の大飢饉がやってきた当時じゃ。「巨利をあげる絶好の機会…」と、あえて又市は御法度破りを断行したのじゃろう。極秘の内に行動したとは思うが、あまりの相模屋の売買の機敏さに、他の仲買人たちが疑心を抱き、たちまち御用となってしまったのじゃ。

この事件は、天明の大飢饉を狙っての悪質なものであり、現代の不足物資を狙って買い占める悪徳商社のようなもので、瓦版でも大々的に報じられたため、有名な事件として後世に残ったのじゃ。

通信方法に絡めた大事件であったがため、天明三年に出された「町觸頭書」の他、数年後に出された「御觸及口達」にも、様々な文書内容が記されておる。それは「町觸頭書」には、相模屋又市が米相場への出入り禁止処分を受けた旨、「御觸及口達」には、この事件にもかかわらず、ハトによる伝達をしている者がおるが、発覚した場合、厳重な処分を下すといったものであったぞ。

以上、相模屋事件について述べたが、これが日本のハト通信における、初めての資料となるのじゃ。

おっと、頁がなくなってきたわい。では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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