連載3-37、日本鳩レース界の歴史

欧州の発展 その二
前回は、ベルギーで鳩レースが始まった時代の話じゃったの。今回もその続きじゃ。
一八一五年、アントワープ市の勤労者グループで組織した愛鳩家団体が、ブーラン・ガントア種によって、ブールジュ、リール、アントワープからレースを実施しておる。これが、史料の上からは、世界最古の鳩レースと判断できるぞ。
アントワープ市における最古の愛鳩家団体は「ラ・ポンム・ド・グルナード」という名称で、一八二五年に(当時はオランダ領)成立しておる。この団体に引き続いて、幾つかのグループが名乗りを上げたが、これらの愛鳩家は、互いに横の連絡を取り合いながら、鳩の改良に懸命に努力しておった。
一八二五年当時、アントワープ市内で多く飼育されておったのは、プチー・ブーラン種という種であったが、それ以後は、キュルビッタン種という種を重視することとなったようじゃ。この鳩には、宙返りをして時間を浪費する欠点があったそうな。そこで、同種とスノール種との交配を行ったのじゃ。
このキュルビッタン種とスノール種交配の作出者たちに影響を与えたのは、イギリスから輸入されたイングリッシュ・キャリー種とペルジャンの純系であった。アントワープの愛鳩家たちは、以上の三種の優良鳩に、さらにプチー・ブーラン種を交配して、全ての長所を持つ伝書鳩を作り上げたのである。
これは、いみじくも「幻のハト」的な存在になっておったアンベルソア種作出のための交配法と同じ過程を辿ったものであった。こうして、偉大な近代鳩種のひとつ、アンベルソア種が、一般の愛鳩家に普及していったのじゃ。
一方、リエージュ地方の愛鳩家は、スノール種を原種として、これに主としてカミュス種を交配した。この交配は、一八二三年以前に行われていたというが、この結果で得られたものが、近代鳩のひとつ、リェージョア種なのじゃ。
これも、すでに行われていたリェージョア種の作出方法を一般の愛鳩家が多くの努力により、自ら獲得したものに他ならないわけじゃ。
こうして大衆化した二つの近代鳩の血流は、ベルギー王国が誕生した一八三〇年からの十年間において、ベルギー鳩の大勢を占めるとともに、世界に冠たる鳩王国・ベルギーの名をほしいままにする基礎を完成させたわけじゃ。
以後、この二大種に支えられたベルギー鳩界は、レース用、軍用、通信用にと、欧州各国へ、鳩を輸出するようになった。その時代、フランスではナポレオン三世の治世下であり、日本では幕末の頃じゃった。
おっと、頁がなくなってきたわい。この続きは、次回に譲るとするかのう…。
(この稿、続く)