連載3-5、日本鳩レース界の歴史
レース鳩への進化 その二
前回の稿で紹介したように、細分された14の亜種は野禽としてのカワラバトそのものであるが、このうち欧州筋のものは腰の部分の羽毛が白っぽく、インドなどの筋のものは腰が白くないほか、翼の二引の黒色も不鮮明な傾向にあるというぞ。
しかし「腰の白くない鳩が、最も原型と考えられ、それが分布するパレスチナ、アラビアなどが原産地ではなかろうか」ともいわれておる。
いずれにしても、前回に述べたとおり、パレスチナ原産地説をとっているようじゃ。
このように、現在でも野鳥としてのカワラバトは、世界各地に分布して棲息しているが、習性は、渡り鳥と違って、移動をしない留鳥性で岸や岩窟に常棲して、その棚のような場所に営巣して産卵、浜辺を飛び回って、餌をあさるというものじゃ。
巌鳩を主体として、ごく自然的な発生過程によって出現したレース鳩の祖先も、同じ性質をもっていたことはもちろんじゃ。そして、その新種は、あまり人を恐れず、しかも帰巣性の強いものであったのではないかと思われておる。
人の住むところでは、餌を見つけやすい。人間の方も帰巣性が強く、なれやすいこの鳩に目をつけることになったのじゃ。やがて人家の屋根や壁などを利用して営巣し、あるいは餌付けされて巣となる場所を人間から与えられるようになって、その仲は親密化していくことになるのじゃ。
このような半家禽状態のまま、現在のドバトと呼ばれる鳩と、その後、完全に馴致飼育され、改良・淘汰されて出来上がる家禽としての家鳩との2大流が分岐していく訳じゃ。
昭和初期になるまで、日本では改良・淘汰の対象となる家禽と、半家禽(半野鳥)のドバトとの区別は呼称の上においてなく、両者を一括して「家鳩」と呼んでいたことは確かじゃ。昭和10年頃以降になって「ドバト」という呼び名が登場しておる。これは関西地方で早くから灰色黒二引(レース鳩でいうB)の羽色を指して「土羽」(ドバ)と呼んでおり、古くからカワラバトを原種とする「堂羽」の羽色が、主に灰色黒二引であったところから「土バト」(ドバト)になったものと考えられるのう。これは昔から「堂鳩」に酷似しているところからも、移動しやすかったと思われるぞ。
ちなみに日本鳩学会が1974年に発刊した「日本鳥類目録」には、カワラバトの掲載はあるが、「ドバト」はない。つまり「ドバト」は野鳥としてみなしていないということじゃ。しかし1922年発刊の同初版には、「Columba livia lividiar」と記載がある。これは中間的なカワラバト、今でいう「ドバト」を指したものじゃろう。これは「ドバト」を家禽のハトと区別し、野鳥の中に含めた時代もあったということじゃ。
では次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)