趣味のピジョンスポーツ 第30回「鳩友と共に歩む、鳩レースの道」 村上岩男鳩舎
「不惑を迎える頃、連合会員から賛助会員となってこれまでの四半世紀、鳩友の協力により、鳩とのかかわりを持つことができました」。
青森県在住の村上岩男さん(64歳)は、肥料・農薬販売関係及び飲食関係と2つの会社を束ねる経営者。現在、当協会の八郷国際委託鳩舎で委託レースを楽しんでいる愛鳩家でもあります。しかし、その飼育スタイルは独特。自鳩舎を持たず、鳩友に作出や委託するヒナの選定などを任せて、純粋にレースだけを楽しんでいるといいます。そのピジョンライフは、どのような形なのでしょうか?
村上さんが鳩と出会ったのは、小学校低学年の頃。近所に住む日本伝書鳩協会の会員の方から1ペアを譲っていただいたのが、きっかけでした。
「もともと生き物を飼うのが好きで、ニワトリやウサギも飼っていました。当時はほとんどのクラスメイトが鳩を飼っていましたから、そのブームに乗っかったということ」。
小学校の高学年から日本伝書鳩協会・津軽支部に入会。いざ鳩レースの世界に足を踏み入れます。
「まだ子供だったので、同じ支部だった3、4歳年上の近所のお兄さんに、持ち寄りに連れて行ってもらっていました。あと安い種鳩などはお小遣いで買えましたが、高額な時計は無理。鳩が帰ってきたら、電話で脚環の番号を支部長に連絡する形で、レースに参加していましたね。それでも一度、200Kレースで優勝できました。文部大臣賞のトロフィーを貰ったことが、良き思い出です」。
中学生になり時計を買ってもらい、本格的に鳩レースを始めることができましたが、学校の部活や受験勉強のため、自然と鳩から遠ざかってしまったといいます。
その後、高校・大学と進学し、卒業後に家業である肥料・農薬販売会社で働き始めた村上さんが、再び鳩を飼うことになったのは、20代の中頃でした。
「結婚を機に、両親と実家で同居し始めました。近所に挨拶に行くと、昔、持ち寄りなどでお世話になっていたお兄さんが、まだ鳩レースを続けていたんです。それでもう一度、鳩を飼ってみようかなと」。
その近所のお兄さんは、当協会・津軽連合会に所属する竹谷秀一さん。津軽支部時代、子供だった村上さんの面倒を見てくれた方でした。再び鳩への情熱が湧いてきた村上さんは、すぐさま津軽連合会へ入会。竹谷さんや地元の仲間の協力もあり、鳩レースを再開することになります。
やがてメキメキと頭角を現し、連合会時代は、94年に東北北部GP1000Kでブロック総合優勝、96年には当時の高松宮杯となる秋Rg500K総合優勝と、次々に結果を出していきます。
「当時の思い出は、自己最高のシーズンだったGP総合優勝した94年と、96年の高松宮杯優勝で協会の総合表彰式に出席したこと。表彰式は妻と同伴でした。鳩を飼っていると、お金と時間をとられるため、妻からはいつも文句ばかり。でもこの時、初めて感謝されましたよ(笑)」。
仕事に鳩レースにと、順風満帆な村上さんの人生に、思わぬ暗い影が差したのは、30代後半のこと。家業の社長だった父親が体を悪くし、数年後に亡くなられてしまったのです。
「自分が会社代表となり、経営を見なければならなくなりました。仕事が忙しくて、鳩の世話をする時間がなくなったんです。それで、やむなく鳩飼育を中断しました」。
種鳩も全て人に譲り、泣く泣く鳩レースを諦めた村上さん。しかし、空っぽになった自鳩舎を見るたび、鳩への思いが強くなる一方。そんな時、竹谷さんから、当協会の国際委託鳩舎の話を聞き、再開への道筋を思い描きます。
「自分の中で『鳩は卒業』と考えていたので、悩みました。でも、竹谷さんが『作出からヒナの選定まで、全て面倒見る』と言ってくれたんです。本当にありがたいこと。そこで『自分では飼育できずとも、鳩レースにかかわる道があるならば』と決断しました」。
それから賛助会員として再入会した村上さんは、竹谷鳩舎で作出した鳩を八郷国際委託鳩舎へ毎年委託。レースのみを楽しむスタイルで、鳩との繋がりを保ってきました。
そして、ついに今年「八郷国際ダービー400K」で第2位と、初めてベストテン入賞を果たし、委託レースでも花を咲かせます。
「速報のパソコン画面に自分の名前が載った時は、本当に嬉しかった。30年振りに、レースで入賞する高揚感を味わえましたね。これも全て竹谷さんのおかげ。感謝しています」。
さて独特なスタイルで、鳩レースを楽しんでいる村上さんですが、最後に鳩レースの素晴らしさを聞いてみると…。
「私はもともと鳩が大好き。中断していた時期も、空を飛ぶ鳩を見る度、『鳩レースをやりたい』という思いを強く持っていました。私のように仕事が忙しい方や、体力的な問題で鳩が飼えない方でも、委託レースならば、鳩レースにかかわることができます。一度でも鳩レースをしたことがある方にはわかると思いますが、あの魅力は何物にも代え難い。もっともっと、たくさんの方が賛助会員の仲間になってくれることを期待しています」。
子供の頃からの鳩友と、一緒に歩んでゆく鳩レースの道。村上さんのピジョンライフは、今後さらに充実したものになることでしょう。