連載2-34、世界の鳩界事情 七

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「レース鳩作出余話」(83年〜87年連載)を引用・改編しています。

1982年の春、わしはオランダ鳩界で活躍しておった系統を勉強するため、鳩界のジャーナリストであり、鳩コレクターでもあるポールマン氏を訪れたのじゃ。

当時はブラークハウス鳩舎が最盛期を迎えようとしている時で、棟続きの鳩舎の一室はポールマン氏が集めた同鳩舎の作出鳩で占められておった。1羽1羽手渡しされて拝見した鳩達は、全て素晴らしい骨格構成であり、他の室のオランダの名系とは格段の差があることに強い感動を覚えたものじゃ。そこで、わしもブラークハウス鳩舎の種鳩を導入すべく、早速その日の夜に訪れたほどじゃ。

とまあ、それほどまでにブラークハウス氏の鳩に比べ、他のオランダの長距離鳩は小型であり、骨格構成も頑強とは言えないものであった。現在のオランダの優れた長距離系統の流れを作った基礎鳩には、次のような逸話がある。

古来、レース鳩は軍用目的に役立ってきたことはご承知の通りじゃが、第2次世界大戦に際しても、米軍は沖縄戦でレース鳩を使用したといわれており、ヨーロッパでもスパイを敵地に潜入させる際にレース鳩を隠して持ち込み、情報分を通信筒に託して夜陰に放鳩すれば、怪しまれることもなく鳩は翌朝の日の出とともに飛び去って鳩舎に帰り、通信に役立ったのじゃ。これは1965年のロンドンでのオリンピアードで聞いた話であり、またその当時の歴戦の勇士もイギリスのオリンピアードの役員として働いておられたこともあり、非常に印象深かったものじゃ。

話が横道にそれてしもうたのう。とにかく、そのようにレース鳩は戦時中においては兵器に準ずるものであり、野放しには出来ぬため、ベルギーやフランスに侵攻したドイツ軍は、第二次世界大戦に際してもその地の鳩舎から鳩を押収し、占領地にこれらの鳩を収容していたという。そのドイツ軍の鳩舎に忍び込んで盗み出された鳩、「モーゼ」と「サール」に源を発して、オランダ鳩界の長距離最高飛び筋であるヤン・アールデン系やワンロイ系が出来上がったといわれておるのじゃ。したがって、一昔前のオランダ鳩界での長距離CH鳩舎の大部分で、この血流が流れておるといっても過言ではないほど、この血はオランダ鳩界の長距離鳩の改良に大きな役割を果たしたのじゃ。

ヤン・アールデン系やワンロイ系の鳩には、大型と小型の体型があるが、小型の方が好成績を示しておったように記憶しておる。では、先に述べたブラークハウス鳩舎の鳩は、なぜあのような立派な体格になったかじゃが、これは同氏のゴールデンペアの母方祖母にベルギーのファンネ鳩舎作の「アイザーレン」(ステッケルボード系)の血が影響しておったからではないかと考えられるのう。

ヤン・アールデン系の中でも、小型鳩の典型とも考えられるのはナンバーワンとも目されるツエルデーレン兄弟の鳩で、見た目だけではなかなか雄と判断しづらいほどに小さなトリもおる。そのような小さな体ながら、1979年にベルジュラックN優勝、80年には同N4位、同鳩で翌81年同N優勝を獲得しておるのじゃ。また、同年のサンバンサンNでは厳しいレース条件の中、100位以内に4羽を入賞させ、85年にはバルセロナN優勝・IN3位と素晴らしい成績を上げておる。これは、鳩は大きさで飛ぶのではないことを再認識させられる結果じゃのう。

オランダ鳩界の特徴は、長距離レースの放鳩時間が意識的に遅いこともある。鳩は夜間控除の時間帯でも飛ぶことがあり、ゆえに分速2000メートル近くの快速力が現れ、また夜間飛行できる特殊な能力を持った鳩が勝利を収めることにもつながる訳じゃ。要は、当時のオランダの長距離鳩でヤン・アールデン系を考えるならば、小型な鳩の傾向が強く、現実にベルギーに負けずとも劣らぬ成績をあげておるということじゃな。

では次回も、一昔前のオランダ鳩界について語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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