趣味のピジョンスポーツ 第7回「セミリタイアで、鳩と人生を楽しむ!」三谷達也鳩舎
茨城県にある八郷国際委託鳩舎近くの石岡駅。同駅から、さらにバスで1時間ほどかかる鉾田市内に、三谷達也さんの自宅兼鳩舎があります。
「50歳の時、仕事をセミリタイアしてこちらに引っ越しました。セミリタイアの理由?悠々自適な生活で、鳩飼育と人生を楽しみたいと思ったんですよ」(三谷さん)。
三谷さんは元々、東京都出身。都内でも一等地である豊島区目白で生まれ育ちました。鳩との出逢いは小学5年生の時で、当時は東京五輪で鳩レースブームの真っただ中。ご多分に漏れず、三谷さんも鳩飼育に夢中になったそうです。すぐさま、父親の知人であった城北連合会の持田邦雄さんを師匠と仰ぎ、鳩飼育を開始されました。連合会は自宅近くの鳳連合会に所属されたそうです。
師匠の持田さんといえば、1964年に雑誌社主催の「クラウン賞」の前身「王冠賞」を獲得された他、『ユニーク号』(羽幌1000K総合優勝)の作翔者としても有名な東京地域の強豪鳩舎。さぞかし厳しく“鳩飼育のイロハ”を仕込まれたのでは…。
「持田さんの教えは、〈鳩は自分の眼で見て覚えろ〉といったスタンス。昔の鳩飼いの方に多い職人気質でしたね。ただ〈鳩舎に入った時は鳩を怖がらせるな〉、〈鳩の掴み方を勉強しろ〉の2点は、常に厳しくおっしゃっていました」。
鳳連合会に入会後、大人達を相手に鳩レースで勝負を挑んだ三谷さんは、10代にして連合会優勝を何度も経験。成人後は医療関係の仕事に就かれ、多忙ななか、東京西地区連盟の優秀鳩舎賞を6年連続獲得、内最優秀鳩舎賞2回という好成績を残されました。
さて11歳の頃から約40年間、東京都内で仕事と鳩飼育を両立されてきた三谷さんでしたが、知命(50歳)を迎えた時、人生の転機が訪れます。鳩舎を構える自宅は、都内の高級住宅街。近隣の皆さんから、鳩飼育に対する苦情が出始めたというのです。
「昔馴染みのご近所さんには、鳩飼育をご理解いただいていたのですが、相続などの影響で新しい住人の方々が増えてきたんです。舎外での糞や羽根、鳴き声などでご近所に迷惑をかけているのは心苦しくて」。
鳩飼育を断念するべきか…。しかし、鳩は自分の人生の一部ともいえるほど大切なもの。簡単に諦められません。悩み抜いた末、三谷さんが下した決断は、仕事をセミリタイアして、田舎暮らしをしながら、鳩飼育を続けるという答えでした。
「これも一つのチャンスと考え、鳩飼育のできる場所に移り住み、思う存分、鳩と人生をエンジョイしようと決めました。幸い不動産収入があり、老後の生活設計も目処が立っていましたからね」。
決断後の行動は早く、都内の自宅を売却し、所有していた茨城県内の別荘を改装して、自宅兼鳩舎に。それが現在のお住まいです。転居後は茨城地区連盟の茨城東連合会に所属しましたが、最初は都会との環境の違いに戸惑われたそうです。
「猛禽類の多さが、都内の比じゃなかったですね。舎外に出すたび、いつ襲われるかとドキドキ。ただし、舎外の飛びや遠征は凄かった。いつまでも飛び続けて、全然降りてこないんですから」
それから10年間、同連合会でレースマンとして鳩飼育を楽しまれましたが、耳順(60歳)を迎え、体力的な面から、連合会の持ちよりや審査に参加することが難しくなるだろうと考え、3年前に賛助会員へ転身。委託専門で楽しむ道を選ばれました。三谷さんはそれまでレースマン一本だったため、委託レース参加は初めての経験。とはいえ1年中、作出のことを考えるというほどの熱の入りよう。結果、委託1年目の昨年、「八郷国際サクセス200K」は3位、「国際ダービー400K」で11位に入賞。そして今年、「国際ウィナー300K第5位」、「国際ダービー400K第3位・第10位」、「国際親善鳩レース大会500K優勝」と大ブレイクを果たします。特に500K優勝鳩は雄鳩で、しかも栗鳩として3レース連続シングル入賞という、国際委託鳩舎でも稀に見る好成績を収めました。
取材当日、自宅に戻ってきたこのトリを手にした三谷さんは、眼を細めながら「我が息子よ。良く帰ってきたな」と言葉をかけ、愛鳩をねぎらいます。
「優勝を知った時はビックリ。本当に嬉しかった。このトリは自分の息子のようなもの。これから種鳩にして、孫達が生まれたら、また国際委託鳩舎レースで楽しみたいですね」。
委託レースの面白さは、「全国各地の飛び筋と戦えること」と話す三谷さん。鳩を家族として、都会の喧騒から田舎でのスローライフへ。その人生は、これからもたくさんの愛鳩達とともに彩られていくことでしょう。