趣味のピジョンスポーツ 第19回「人生には、鳩レースがあれば満足」 福井幸治鳩舎

八郷国際ダービー400K第2位の母鳩を掴む福井さん。鳩レースで獲得した賞杯の前にて。
今回、ご登場いただくのは、北海道で鳩飼育を楽しむ福井幸治さん(65歳)。小学生の時に鳩を飼い始め、中学生から、一度も中断することなく鳩レースを続けているという生粋の愛鳩家。2年前から賛助会員として国際委託鳩舎レースに参加し、初レースとなった昨年、「八郷国際ダービー400K」で第2位という好成績を収められました。半世紀以上の間、鳩一筋というそのピジョンライフとは…。

「私はITやテレビゲームなど、人生には必要ないと思っています。なにせ、携帯電話すら持っていないほどですから(笑)。逆に、アナログで奥が深い鳩レースは大好きですね」。

こう語るのは、北海道札幌市にお住いの福井幸治さん(65歳)。中学生の頃から現在まで、一度も中断することなく半世紀以上もの間、鳩レースを続けているという福井さんが、初めて鳩と出会ったのは、小学5年生の時だったそうです。

「近所の鳩をかっているオジさんから、つがいの2羽を譲って貰ったことが始まりですね。当時は、東京五輪の第2次鳩ブームの最中で、学校の友達も皆、鳩を飼っていました。もちろん、最初は四方訓練程度しかしていなかったのですが、その当時から『いつか鳩レースがやりたい』と思っていました」(福井さん)。

そこで中学生になると、すぐに地元の日本伝書鳩協会・札幌支部へ入会。初レースは翌年の秋100Kだったといいます。

4羽参加して2羽が帰還。家で楽しみに待ちながら、ずっと空を見上げていました。ところが、ちょっと目を離した隙に、屋根の上にとまっちゃってた(笑)。当時は時計を持っていなかったので、急いでゴム輪を外して、他の会員さんの家へ持っていきました。この時期は、とにかくレースで記録することだけが目標だったので、すごく嬉しかったですね」。

初レースで帰還を果たした福井さんの次の目標は、400Kレースでの記録、いわゆる「海峡越え」でした。

「我々の地域は西コースですが、まず津軽海峡を越えて帰還させることが、レースマンとしての第一歩なんです。これを中学3年生の時に達成したのですが、本当に感動しましたね。帰還鳩の血統は、100007系×ファブリー系。この歳になっても、いまだに覚えていますね(笑)」。

その後、福井さんが在籍していた同支部は、日本鳩レース協会へ移行し石狩連合会へ。やがて札幌連合会と合併します。石狩連合会時代は、大学生ながら副連合会長も努められたそうです。

大学卒業後は、実家の家業である豆腐製造会社を継ぐことになり、仕事に忙しい毎日を過ごしますが、「鳩が好きだから、鳩レースはやめられなかった」といいます。鳩レースに費やす青春時代。若い頃は鳩を学ぶため、全国の有名鳩舎を見学に回ったこともあるのだとか。

「当時の連合会長(故・乙丸修弥氏)が協会の理事を努めていたご縁で、関東地方や中部地方、果ては九州地方といった全国の強豪鳩舎を訪れて、鳩を掴ませて貰ったり、管理方法を教えて頂きました。特に印象に残っているのは、巨匠である岩田誠三さん。82年と90年に、2度も訪問させていただきました。『留萌キング』(83年西日本GN1100K総合優勝)、『CHフェアレディ』(83年東海CH1000K総合優勝)といった銘鳩を掴ませていただき、様々な金言も聞かせてくださいましたね。岩田さんは、鳩に関しては徹底した現実主義でした。紙上の血統や見た目の鳩質よりも、多くの鳩をレースに参加させ、実際のレースデータを重視しながら、ご自身の系統を作り上げられたと思います。『私は日本一、鳩を失踪させた男ですよ(笑)』と、おっしゃられた時の屈託のない笑顔が今でも思い出されます」。

さて、強豪鳩舎から学んだ知識を自鳩舎に採り入れた福井さんは、レースでも次々と成績を上げていきます。代表的なものは、Rg・地区Nでの上位入賞、95年には石川県金沢市からのGW900K総合2位・4位、近年では14年のGP900K総合8位など。

こうして約半世紀近く、連合会員として鳩レースを続けてきた福井さんですが、思わぬことから連合会をやめざるをえなくなります。

「ご近所から、急に舎外に対する苦情が出たんですよ。それまで長年、自宅で飼っていても文句の一つも言われなかったのに…。トラブルを回避するには、レースを諦めるしかありませんでした。とはいえ、鳩を飼うことまでは諦められず、委託レースができる賛助会員へ移ったという訳です」。

やむなく連合会を退会し、翌年の18年に賛助会員として復活。20年度レースから国際委託鳩舎レースに参戦すると、その年の八郷シリーズにおいて、いきなり「国際ダービー400K2位」という好成績を収めます。

「八郷400Kの入賞は鳩友からの電話で知りました。でもそんなに嬉しくはなかったんですよ。実は、連合会時代も最高成績が総合2位だったため、嬉しいというよりも『また2位か…』とガッカリした気持ちが大きかった(笑)。次レースからに期待しましたが、新型コロナウイルスの影響でレースは中止となってしまいましたから。結局、入賞鳩は700Kまで残り、種鳩として家に戻りました。でも今年、その直仔を2羽、八郷鳩舎に預けているので、楽しみにしています」。

こうして鳩一筋に半世紀以上。人生の大半を鳩レースにかけた福井さんに、レース鳩の魅力を伺うと…。

「まずは、ブラッドスポーツの魅力です。私は中距離が好きなので、主に中距離バードを作出していますが、飛翔データから配合(ペア)を考えるのは、ものすごく楽しい。また、鳩は作出から調教、そしてレースと、全てを自分一人で考えながら行えるところも最高ですね。本当に素晴らしい娯楽だと思います。昨今の住環境では、私のように自鳩舎でレースができなくなった方も多いと思いますが、そんな時は国際委託鳩舎レースがあります。皆さん、これからも一生、鳩を飼い続けましょうね(笑)」。

「鳩レースさえあれば、人生は満足」という福井さん。これからも素晴らしいピジョンライフを送ってくださいね。

90年に岩田誠三鳩舎を訪問。左から福井さん、故・岩田誠三氏、同じ連合会の竹村 進さん。

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