趣味のピジョンスポーツ 第2回「国際委託鳩舎レースに憧れて…」大森悦朗鳩舎

昨今、住環境の問題や鳩レース愛好家の高齢化の影響もあり、自ら鳩レースができず、当協会の賛助会員として作ったレース鳩のヒナを預けて、国際委託鳩舎で手軽に鳩レースを楽しむ方々が増えています。本コーナーでは、委託レースでピジョンライフをエンジョイしている、当協会の賛助会員の方々を、随時ご紹介していきます。今回ご登場いただくのは、東京都在住の大森悦朗鳩舎。子どもの頃から国際委託鳩舎レースに憧れ続け、現在は賛助会員として、鳩飼育と委託レースを楽しんでいらっしゃいます。大森さんの夢は、両国際委託鳩舎の国際親善鳩レース大会での優勝です!

「昔からずっと、国際委託鳩舎レースに憧れを持っていました。東京都上野の松坂屋デパートに委託鳩舎があった時代からです。日本全国、そして世界中から集まった様々な系統のトリと、自分が作り上げたトリが戦えるというのは、大きなロマンだと思いますね」

東京都在住の大森悦朗さん(66)は小学2年生の時、鳩を飼い始めたそうです。鳩歴は約60年。元々は茨城県出身で、中学生の頃に当時の茨城北部連合会に所属。20代前半まで、地元で鳩レースを楽しんでおり、高松宮杯2位という成績も収めました。しかし当時、銀行に勤めていた大森さんは東京都へ転勤、一時的にレースを中断します。その後、28歳の時に一念発起して、独立起業。安定したサラリーマンからの転身。当然、仕事一筋に打ち込まなければなりません。しかし仕事に追われる日々のなかでも、鳩に対する情熱は消えることがありませんでした。

1990年頃、仕事も落ち着き、40歳を過ぎて鳩レースを再開。当協会の2代目会長・関口龍雄 氏が連合会長を務めていた、東京西地区連盟・東京鳩友連合会に所属しました。

「私は子どもの頃から鳩飼育を楽しんできましたが、並行してスポーツ(陸上競技)もやっていました。当時、部活動で全国大会への出場やオリンピック候補選手になった経験もあり、鳩一筋に打ち込むことができなかった。レースを中断している間も、母に世話を頼んで鳩は飼っていたのですが、いわば鳩レース、特に憧れの委託鳩舎レースに対してハングリーだったんですよ(笑)。自分自身が年を重ね、陸上競技をできなくなったら、思いっきりピジョンスポーツに情熱をかけたかった」

再開にあたって、委託専門でと考えており、まずは種鳩集めから。ゼロからのスタートでしたが、自身が持つレース鳩に対する理想を叶えるには、逆に幸いでした。鳩の雑誌などで分析を重ね、「委託の飛び筋は、どのような系統か」を研究。さらに陸上競技の世界で、素質の大切さと世界との大きな差を痛感していた大森さんは、「現在、世界のトップに君臨する鳩舎の鳩を導入すれば、日本でも勝てるだろう」との発想に至ります。そこで本場ベルギーから、短距離王のアルホンス・ベラード鳩舎、長距離のロジャー・フレーカー鳩舎といった強豪10鳩舎を選定。各数ペアを計60羽ほど導入しました。なかでも、N&Fノルマン鳩舎のトリ『イバン』(87年リモージュN7,640 羽中58位他、バルセロナNまで27 回入賞・内シングル8回)は、大森鳩舎の強力な戦力となりました。当時、ノルマン鳩舎はベルギー国内でトップレベルであり、遠距離地帯にもかかわらず、バルセロナINで同一鳩舎にて総合優勝と総合2位を獲得。また短距離から長距離まで、オールラウンドに結果を残していた部分にも惹かれたそうです。

いわゆるヨーロッパ輸入系の直仔で、委託レースを始めた訳ですが、大森鳩舎で最初に大きな結果を出したのは、意外な系統でした。

「再開当初、同じ連合会の強豪であった矢後鳩舎が、鳩飼育を中断されるということで、優勝鳩のみを引き取らせていただきました。そのなかに、東日本CHやGNで入賞した血筋でありながら、300K優勝、500K2位と短中距離で結果を残しているトリがいました。その直仔が最初の優勝鳩です」

初優勝を果たしたレースは、当時の他団体の合同鳩舎委託レースで〈92年鳥羽選手権300K〉。優勝鳩は『ビューティ・ホーマー』と名付けられ、種鳩となります。ここから大森鳩舎の快進撃が始まりました。翌年、前述の『イバン』と『ビューティ・ホーマー』のペアの直仔が、〈93年日本選手権500K〉で全国優勝、さらに3年後、『イバン』の孫鳩が〈96年長崎選手権1000K〉で全国優勝を獲得。僅か5年の間に自身の作出鳩で、同委託レースの短・中・長距離全レースにおいて、なんと〝三冠王〟を達成したのです。このラインは「大森ホーマー系」として、当時の日本鳩界に名を轟かせました。

さて、一つの夢を叶えた大森さんでしたが、仕事の関係で98年に再びレースを休止。ほとんどの愛鳩達を手放し、優勝鳩3羽とその直仔を飼育するのみとなりました。しかしながら、他鳩舎へ譲った自鳩舎ラインが様々な地域や国際委託鳩舎レースで飛んでいるとの話が耳に入り、いてもたってもいられなくなります。また、飼育鳩の高齢化による自鳩舎ライン存続への不安と子孫の性能検定も考えて、2012年に賛助会員として3度目の協会復帰。交通関係の会社を経営するかたわら、ハンドラーとともに、鳩飼育に忙しい毎日を送っています。現在は種鳩約100羽を飼育しており、毎年、八郷と伊賀両鳩舎へ約60羽を委託しているそうです。その際、大森さんはヒナ鳩を航空輸送せず、必ず自分自身の手で両鳩舎へ車で持っていかれるとのこと。

「委託レースは、一番大変な飼育管理をスタッフの皆さんにお任せします。自分ができることとして、せめてヒナ鳩達に負担をかけないように、この手で連れて行ってやりたい。愛鳩達に、できる限りのことをしてあげたいですから」

この4年間、国際委託鳩舎での上位入賞は、「14年度 伊賀ウィナー300K第10位」、「15年度 伊賀オータムカップ100K第5位、同第9位」、そして13年度には「伊賀国際CH」において、記録範囲外でしたが5番手で帰還させています。ちなみに、この5番手帰還のトリと14年の伊賀国際ウィナー第10位のトリは全姉妹。また今年の「八郷国際CH」でも第17位で帰還を果たしました。その他、「大森ホーマー系」のラインは、10年度の八郷オリエンタルカップ700K優勝鳩にも絡んでいます。

「この3年間、自鳩舎のラインが国際委託鳩舎レースで今でも通用すると確認できました。今後は在来系や長距離輸入系といった、様々な異血を導入して、ラインを活性化していきたい。委託レースの魅力は、公平な条件で競える点。地域レースで味わえる帰還時の喜びはありませんが、全国各地の強豪鳩舎のトリと競える楽しみがあります」

現在、大森さんが一番楽しみにしているレースは、歴史と伝統があり、さらには外国鳩と戦える可能性もある「国際親善鳩レース大会」。夢は八郷、伊賀の両鳩舎での優勝です。

取材後、玄関まで記者を送ってくれた大森さんは、最後に門扉に施されている、鳩をモチーフとした装飾を紹介してくれました。

「人生には様々な苦しい局面もあります。私はその度、鳩飼育に助けられてきました。だから家族の守り神として、玄関に鳩の装飾を施しているんですよ」

欧州では、屋根の妻飾りや門扉の装飾には家紋の意味も含まれます。鳩と共に60 年、これからの大森さんとご家族の人生を、愛鳩達がさらに彩ってくれることでしょう。

大森さん宅の門扉に施された、鳩をモチーフにした装飾

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