趣味のピジョンスポーツ 第3回「鳩と共にスローライフ!」新井康夫鳩舎
埼玉県東松山市の一角にある、新井康夫鳩舎の自宅敷地内には犬や猫の他、ニワトリ、烏骨鶏、チャボ、小鳥が100羽ほど飼育されています。無類の動物好きの新井さんは、それが高じて動物園の飼育員を仕事に選んだほどでした。
鳩との出会いは、中学生の頃。1964年に東京オリンピックが開催、開会式で約8,000羽の鳩が舞った圧巻の放鳩イベントにより、日本国内に鳩レースの一大ブームが起きた当時のことです。
「同級生が鳩を飼っているのが、うらやましくて。とはいっても、レース鳩は高価でなかなか手が出なかったんですよ。そこで鳩を飼っていた親戚にお願いして、1羽譲ってもらったのが、鳩飼育の始まりですね」
当時、10代の新井さんはどの団体にも所属していなかったため、レースには参加せず鳩飼育のみ。しかしながら、レースには興味津々。友人に頼んでこっそりレースの時に一緒に飛ばしてもらったこともあったそうです。それは青森県を放鳩地にする500Kレースで、申請していないため、当然記録はでませんでしたが、帰還した時間からすると、なかなかの好成績だったとか。
さて地元の高校を卒業後、新井さんは一旦、愛知県にある自動車関係の会社へ就職します。その間、自宅の鳩達は家族が飼育していてくれたとのこと。仕事に没頭する青春期を過ごした新井さんでしたが、30才の時、転機が訪れます。自宅の近くに動物園が開園される話を聞き、そこで働きたいと考えたのです。
「元々が動物好きだったため、迷いなく転職を決めましたね。運良く採用されて、それから約30年間、飼育員として勤めていました」
大好きな動物たちに囲まれた生活のなか、もちろん鳩に対する情熱も再燃します。同時期に、当時の西埼玉地区連盟・埼玉暉連合会(現在は解散)へ入会。念願であった鳩レースを楽しむことになりました。しかしながら、50才の頃に仕事の都合で転勤。なかなか管理の時間が取れなくなり、レースを断念。鳩飼育のみの生活に戻りました。
再度、鳩レースへ復帰を果たしたのは、3年前。定年退職後、自宅で様々な動物を飼いながら、鳩飼育の時間も取れるようになったことから再開を目指しました。レース復帰のために選んだ道は、賛助会員で協会への入会。八郷・伊賀の両国際委託鳩舎で委託レースを楽しむことになったのです。
系統は、連合会員時代から残してあった自鳩舎の飛び筋が基本。血統にはこだわりがないそうですが、連合会当時の鳩友であった片寄隆彦鳩舎(現・賛助会員)のヤンセン系を配合して作出しました。そして一昨年、八郷と伊賀へそれぞれ5羽ずつ委託。この委託レース1年目である14年度 八郷国際委託鳩舎レースにおいて、新井鳩舎に喜びが訪れます。
「再開1年目ですし、委託羽数も少なかったので、成績面はさほど期待していませんでした。ところが、そのうちの1羽が国際サクセス200Kで第8位に入賞。その後のレースでも、帰還し続けました」
そのトリである『13DA31321』は、国際サクセスでベストテンに入賞した後も飛翔し、国際ウィナー667位、国際ダービー19位、国際親善鳩レース大会141位、オリエンタルカップ21位…。ついに最終レースである国際CHレースまでたどり着きます。その成績は、第6位。再びシングル入賞を果たしました。
「やはり、賛助会員となって初めての委託で、900Kのベストテンに入ったのは嬉しかったですね。俄然、やる気になりましたよ」
そして翌年の15年度 八郷国際委託鳩舎レースで、またまた新井鳩舎にとってサプライズが起こります。なんと、八郷鳩舎に委託した『14DA06649』が、国際親善鳩レース大会第8位、オリエンタルカップ第27位の成績で、〈八郷アベレージ賞・銘鳩賞〉を獲得したのです。最終の国際CHレースで失踪したため、〈八郷アベレージ賞・協会賞〉の獲得はなりませんでしたが、見事な成績です。ちなみに、このトリは前述の〈八郷・国際CH900K第6位〉の全兄弟の仔なのだとか。「国際委託鳩舎レースで一番楽しみにしているレースは、やはり関東三大長距離レースの東日本CHと併催される、八郷国際CH900K。前年にこのラインでベストテンに入賞していたので、今年も挑戦しましたが残念でした。今回、銘鳩賞を獲得したことで、今後もアベレージを狙っていきたいと思っています」
レース鳩以外にも、自宅でたくさんの動物を飼っている新井さんは、自分の畑で農作物も栽培するなど、定年後に誰もが夢見るスローライフを送っています。「現在の夢は、私設の動物園をつくり、たくさんの子供たちに遊びに来て貰うこと。夢が叶った折には、レース鳩の展示館も作りたい」とのことです。
愛する動物たちに囲まれた新井鳩舎のスローライフは、鳩と共にこれからも続いていくことでしょう。