連合会便り 男鹿連合会(秋田地区連盟)

(イラスト/わたなべ ふみ)
日本鳩レース協会は、連合会員と賛助会員の2種類の会員で構成されています。個人で種鳩を飼育し、国際委託鳩舎に選手鳩のヒナを預けて委託レースを行う賛助会員に対して、連合会員は各連合会に所属し、種鳩及び選手鳩を飼育・調教しており、国際委託鳩舎での委託レースはもちろん、自らの鳩舎で各団体が主催する鳩レースに参加できます。連合会は、レース鳩の飼育者、またはレース鳩の関心を持つ方々が組織する25名以上の団体で、年の作出羽数が500羽以上あることが条件。連合会は全国各地にあり、現在は約1万人の会員数が、レース鳩の飼育・調教とレースを楽しんでいます。当協会では随時、連合会員、賛助会員の入会を募集しております。

男鹿連合会の皆さん。懇親会では会員手作りの連合会会館で、会員手作りの料理を味わいます。

《連合会の構成》

昭和51年に秋田連合会から独立して発足。最大連合会員数は昭和55年頃で55名。現在は3クラブ25名です。

《地形・帰還コースの特色》

当連合会は秋田県の中心部、日本海に突き出た男鹿半島に位置しています。半島の付け根部分と半島の先端分部にそれぞれ在住している会員がいますが、放鳩地によっては距離が逆転します。

これは連盟レースでも同じで、600Kレースでは40キロ手前の鳩舎と同じ距離となり、陸上の帰還コースの場合、かなりの差をつけなければ勝つことができません。ただし高分速レースになると、まれに能登半島から海上を帰還コースとする展開もあり、この場合は互角の戦いとなります。

勝つためには厳しい地形ですが、全国的には、海越えや山越えといった我々以上の様々なハンデを背負った地域もあります。それを乗り越えて勝つからこそ、喜びも大きいと思っているので、距離的ハンデがあるとは感じていません。

《歴史と特徴》

昭和40年頃、第2次鳩ブームで学生が連合会員の半数以上を占める時期がありました。当時は学生のため、会費や参加費などの負担をなるべく抑えられるよう、餌を連合会で共同購入するなど様々な工夫をしていました。また家族から鳩レースを理解してもらうため、連合会で学校の宿題から生活指導まで行っていました。

現在、鳩レースを再開している方々は、その当時の学生がほとんどでしょう。
当連合会では、「会員の中から連盟・ブロック連盟での総合優勝」を合言葉に、全体のレベルを上げるため、会員同士で種鳩の交流も盛んに行い、様々な情報交換をすることをモットーとしてきました。会員一丸となったことにより、長距離レースでブロック連盟総合優勝が4回・連盟優勝が6回、中距離レースでも連盟総合優勝が2回、農林水産大臣賞1回を獲得しています。

また連合会レースで、会員が皆、楽しめるようなレースを企画しています。その一つが距離修正レース。陸上の帰還コースをとることから放鳩地に近い鳩舎を起点に、鳩舎ごとに距離を修正して分速を競っています。

もう一つはエサレース。餌を連合会で共同購入し、その余剰金で洗剤や調味料といった生活用品を購入。マークによって競います。秋季200Kレースを対象としていますが、各会員は奥様から「そろそろトイッレットペーパーがなくなりそうなんだけど、レースはまだ?」と催促されるそうです。

《地元のお国自慢》

当地・男鹿は秋田県の代表的な観光地。山肌の大半が芝生で覆われた「寒風山」(注1)からの展望は格別です。

男鹿と言えば、全国的に有名な「なまはげ」(注2)です。「なまはげ館・男鹿真山伝承館」では、男鹿市内各地で実際に使われた110体&40枚の多種多様のなまはげ面が勢ぞろい。圧巻の迫力です。こちらは元来、民俗行事として大みそかにのみ行われており、地元以外の方にはなかなか見ることのできないなまはげ習俗を広く観光客の皆さんにも知ってもらうために設立されました。男鹿にいらした際は、ぜひお立ち寄りください。

 

注1=「寒風山(かんぷうざん)」とは、秋田県男鹿市にある成層火山。標高355メートルで、山頂部は崩落で2つに分かれています。男鹿三山の一つとして数えられる場合もあります。
注2=「なまはげ」は、秋田県の男鹿半島周辺で行われてきた年中行事。異形の仮面をつけ、藁などで作った衣装をまとった「なまはげ」が、家々を巡って厄払いをしたり、怠け者を諭したりします。200年以上の歴史を有し、市内148地区のうち約80地区で同行事が行われており、国の重要無形民俗文化財に指定されている他、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。

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