趣味のピジョンスポーツ 第16回「東日本大震災の試練を乗り越えて」 北山 徹さん(宮古連合会)
「あの日の数日後、残っていた餌を全部与え、出舎口を開けて鳩達を逃がしてやろうと…。もう鳩レースはできないと思っていました」。
岩手連盟・宮古連合会に所属する北山 徹さん(35歳)は、未曽有の大災害となった東日本大震災を、こう振り返ります。一時は絶望の淵に立たされた北山さんが、現在まで鳩レースを続けられた理由は、どこにあったのでしょうか?
北山さんが鳩と出会ったのは、小学6年生の時。学校に迷い込んだレース鳩4羽を保護して飼い主に連絡したところ、譲って頂いたことがきっかけです。元々、父親と叔父が、宮古連合会で鳩レースを行っていたこともあり、初めてのレース参加は中学2年生。現在、30代ですが、レース歴20年超えのベテランです。
「初参加した秋レースでは30羽中2、3羽しか帰りませんでした。それが悔しくて。元来、負けず嫌いなんですよ(笑)」。
以来、連合会の先輩に話を聞くなどして猛勉強。鳩飼育にのめりこみました。そして21歳の時、ついに秋100Kレースで初優勝。そのシーズンは秋400Kで連盟8位・10位と、総合シングル入賞も果たします。
「僕は作出した鳩に愛情を持っています。勝負にこだわるよりも、全鳩に帰ってきて欲しいという気持ちの方が大きい。でも初優勝の時は、最高に嬉しかったですね。これで少し考えが変わったかも(笑)」。
その後も努力を続けましたが、自鳩舎はリアス式海岸で有名な三陸地方にあり、全国的にも猛禽類の被害が激しい地域。試行錯誤を繰り返すも、なかなか帰還率はアップしません。そこで24歳の頃、ハンドラーとして埼玉県の強豪・新井健仁鳩舎(春日部)の下で1年間の鳩修業を行います。レースマンとして、思い切った決断でした。
「仕事が外装職人で、いわゆる『一人親方』だったため、決断できました。この時は、関東地域のレースマンの意識の高さをまざまざと感じましたね。鳩への心意気や作出・管理の徹底、そして勝負へのこだわりを見て、体に電気が走ったというか…。素晴らしい経験でした」。
そして1年後、地元に戻った北山さんは、新井氏の会社名にあやかり『リアス丸新ロフト』と登録名を変更。ところが「さあ、これから」という時、前述の震災で生まれ育った土地が、なんと壊滅状態に…。
この惨状を目の当たりにし、悲嘆にくれる北山さんを救ったのは、全国の鳩仲間でした。
「全国各地の会員さんが、餌やガソリンといった様々な物資を送ってくださいました。その心意気を受けて、なんとか頑張らなければと…。あの時の支援がなければ、鳩レースを続けられていたかどうか…。本当に感謝しています」。
あの日から9年、今では自身の会社も立ち上げ、仕事に鳩レースに精力的な日々を送る北山さん。17年に春Rg総合3位、18年に秋Rg総合2位という好成績も残しました。また元々、短距離志向でしたが、地形的に帰還が厳しい長距離にも挑戦。18年には連合会として10年振りとなる帰還で、GP800K連盟5位を獲得しています。
現在、競翔委員長を努めるなど、連合会の中心となって活躍する北山さんに、これからの夢を伺うと…。
「僕にとって、鳩レースは仕事の大きな励みになっています。会社と鳩飼育に暇がない日々ですね。そんな姿を見てか、今では事務の女子社員も飼育を手伝ってくれています。僕より熱心なくらい(笑)。僕達が暮らす地域は、鳩レースにおいて地理的なハンディがありますが、今はそれを乗り越えていくことが楽しい。夢というか目標は、ここ20年以上も連合会で帰還が無い1000Kレースに挑戦すること。なんとか帰したいですね!」。
震災という大きな試練を乗り越えた同鳩舎。会社経営に鳩レースにと邁進するパワーで、これからも地元の鳩レース界をリードして欲しいですね。