趣味のピジョンスポーツ 第16回「東日本大震災の試練を乗り越えて」 北山 徹さん(宮古連合会)

会社敷地内に自鳩舎を構える北山さん。自ら経営する窓業会社は、27歳で立ち上げたとか。
鳩レースを行う愛鳩家は中高年の男性が中心ですが、中には女性や若い方々、またご高齢の方、家族で楽しんでいらっしゃる方々もいらっしゃいます。このカテゴリは、鳩レースを楽しむ「ヤング&ウーマン」、「シルバー&ファミリー」の皆さんに、レース鳩の魅力について伺っていきます。 今回ご紹介するのは、岩手県にお住まいの北山 徹さん(35歳)。年齢は若手ながら、小学生から鳩を飼い始め、中学2年の時にレースに参戦したという鳩歴23年のベテラン鳩舎です。しかし20代半ばで東日本大震災に見舞われ、一時は鳩飼育を諦めかけたといいます。同鳩舎が震災にめげず、鳩飼育を続けた理由、そしてこれからの夢とは…。

「あの日の数日後、残っていた餌を全部与え、出舎口を開けて鳩達を逃がしてやろうと…。もう鳩レースはできないと思っていました」。

岩手連盟・宮古連合会に所属する北山 徹さん(35歳)は、未曽有の大災害となった東日本大震災を、こう振り返ります。一時は絶望の淵に立たされた北山さんが、現在まで鳩レースを続けられた理由は、どこにあったのでしょうか?

北山さんが鳩と出会ったのは、小学6年生の時。学校に迷い込んだレース鳩4羽を保護して飼い主に連絡したところ、譲って頂いたことがきっかけです。元々、父親と叔父が、宮古連合会で鳩レースを行っていたこともあり、初めてのレース参加は中学2年生。現在、30代ですが、レース歴20年超えのベテランです。

「初参加した秋レースでは30羽中2、3羽しか帰りませんでした。それが悔しくて。元来、負けず嫌いなんですよ(笑)」。

以来、連合会の先輩に話を聞くなどして猛勉強。鳩飼育にのめりこみました。そして21歳の時、ついに秋100Kレースで初優勝。そのシーズンは秋400Kで連盟8位・10位と、総合シングル入賞も果たします。

「僕は作出した鳩に愛情を持っています。勝負にこだわるよりも、全鳩に帰ってきて欲しいという気持ちの方が大きい。でも初優勝の時は、最高に嬉しかったですね。これで少し考えが変わったかも(笑)」。

その後も努力を続けましたが、自鳩舎はリアス式海岸で有名な三陸地方にあり、全国的にも猛禽類の被害が激しい地域。試行錯誤を繰り返すも、なかなか帰還率はアップしません。そこで24歳の頃、ハンドラーとして埼玉県の強豪・新井健仁鳩舎(春日部)の下で1年間の鳩修業を行います。レースマンとして、思い切った決断でした。

「仕事が外装職人で、いわゆる『一人親方』だったため、決断できました。この時は、関東地域のレースマンの意識の高さをまざまざと感じましたね。鳩への心意気や作出・管理の徹底、そして勝負へのこだわりを見て、体に電気が走ったというか…。素晴らしい経験でした」。

そして1年後、地元に戻った北山さんは、新井氏の会社名にあやかり『リアス丸新ロフト』と登録名を変更。ところが「さあ、これから」という時、前述の震災で生まれ育った土地が、なんと壊滅状態に…。

この惨状を目の当たりにし、悲嘆にくれる北山さんを救ったのは、全国の鳩仲間でした。

「全国各地の会員さんが、餌やガソリンといった様々な物資を送ってくださいました。その心意気を受けて、なんとか頑張らなければと…。あの時の支援がなければ、鳩レースを続けられていたかどうか…。本当に感謝しています」。

あの日から9年、今では自身の会社も立ち上げ、仕事に鳩レースに精力的な日々を送る北山さん。17年に春Rg総合3位、18年に秋Rg総合2位という好成績も残しました。また元々、短距離志向でしたが、地形的に帰還が厳しい長距離にも挑戦。18年には連合会として10年振りとなる帰還で、GP800K連盟5位を獲得しています。

現在、競翔委員長を努めるなど、連合会の中心となって活躍する北山さんに、これからの夢を伺うと…。

「僕にとって、鳩レースは仕事の大きな励みになっています。会社と鳩飼育に暇がない日々ですね。そんな姿を見てか、今では事務の女子社員も飼育を手伝ってくれています。僕より熱心なくらい(笑)。僕達が暮らす地域は、鳩レースにおいて地理的なハンディがありますが、今はそれを乗り越えていくことが楽しい。夢というか目標は、ここ20年以上も連合会で帰還が無い1000Kレースに挑戦すること。なんとか帰したいですね!」。

震災という大きな試練を乗り越えた同鳩舎。会社経営に鳩レースにと邁進するパワーで、これからも地元の鳩レース界をリードして欲しいですね。

愛情を持った鳩飼育がモットー。会社の女子社員にも懐いています!

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