連載3-22、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

国内への渡来 その六

前回では、鷹狩りの由来を述べたのう。

これによると、鷹狩りの始まった地域は、カワラバトが人為的に進化を遂げていく経路と全く同じに伝播し、古代オリエント→ギリシャ→ローマと移っておるのじゃ。この後、ヨーロッパの貴族の間で流行したらしいのう。

古代人は、狩猟を主として生活しておったから、古代オリエント以前は獲物を食用に供するための鷹狩りじゃったろう。農耕が盛んになると、次第に鷹狩りは違う意味合いを兼ね、やがて貴族の遊戯に移っていったのであろうが、そこに伝書する鳩を攻撃させるための訓練として鷹狩りが行われていたという仮説を立てるのは、さほど無理ではあるまい。

さらに、百科事典の記述には、マルコポーロの見聞録の一部を引用して、ジンギスカンの孫であるフビライの大鷹狩りの様子が述べられておるが、ジンギスカンは東ヨーロッパから西アジア、中央アジア一帯を蹂躙した際に、バビロニア王国の鳩通信網を壊滅させておる。

わしが推論するに、鳩通信網の徹底的な破壊のための大鷹狩り、あるいはその名残りではなかろうか。モンゴル、やがて元という国家となる政府は、鳩通信による脅威を常に念頭に置いて警戒し、鷹狩りを随時、開催していたのではあるまいか。

何回も綴ってきたように、日本において、この鷹狩りは江戸時代を通して、一般には禁じられておった。それ以前も、源頼朝などが鷹狩りを好み、富士の裾野で史実に残る盛大な「巻き狩り」をしばしば行っているが、これは戦時に備えての、むしろ戦闘演習であり、イノシシやシカなどを追い立てて捕獲する戦技に重点が置かれておったが、後世の諸大名に至るまで、この鷹狩りや巻き狩りを怠らず、鷹匠にも相当の待遇を与えて、鷹を常備しておった。その裏には伝書する鳩を攻撃するため、鷹を片時も手放すことが出来なかったことがあるのではないかのう。

日本における鷹狩りの歴史は、相当に古いようじゃ。そこには、たとえ積極的な貢献度は僅少であっても、伝書する鳩の存在は古来から無視しがたく、鎌倉時代の後期以降は、能力的に優れた新種の伝書鳩の到来によって、伝書する鳩の飼育を一般に禁止すると同時に、鷹狩りも禁止しなくてはならなくなったのではないかのう。

つまり、通信のための新兵器(鳩)を、時代時代の為政者たちは、秘密裏に、独占的にはぐくみ、抑止力たる鷹狩りも怠りなく用意しておったということじゃ。

かなり前の稿(シリーズ3回目の12)で記述した、十字軍遠征時の「ホックラスの戦い(1098年)」における、猛禽類による鳩の墜落という史実も偶然ではなく、聖教徒軍の苦肉の「鷹狩り」の戦技であったのかもしれぬぞ。

では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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