連載3-21、日本鳩レース界の歴史
国内への渡来 その五
伝書させるために、人為的に改良淘汰を加えられた、現代のレース鳩の基礎ともなる血脈を持った伝書鳩。この鳩の日本への渡来の時期について、ずいぶんと長いこと暗中模索をしてきたが、この辺りで一応、わしの推論は結論が出たように思うぞ。
つまりは、資料に記載され始めた江戸時代ではなく、資料には全く記載されていないが、元寇をきっかけとして、鎌倉時代に渡来してきたのではないかということじゃ。
その結論に達するまでに、推論が多分に飛躍していったことは、ご容赦いただきたいところじゃ。国内に資料がないため、どうしても外国にある史実を手掛かりに頭の中で組み立て、理屈や筋道の通りそうにない部分を消去しながら、積み重ねていくしかなかったのじゃ。非常に困難な作業ではあったが、ほどほどの仕事ができたのではないかと自負しておるぞ。
歴史上の事実とされるものの中には、はじめ講談本か、小説によって作品に表現され、一見、全くフィクションのように見えたものが、その後、考古学の学者などによって、裏打ちされたものも、いくつかある。
わしは、そのようなことも考えつつ「日本鳩界の歴史」を綴りはじめたのじゃが、もののついでに、もう少しロマンチックな気分を続けて、飛躍させすぎたかもしれない仮説をもとに、皆さんと共に思考の冒険にひたることをお許し願いたい。
さて、トイレでものを考える方は、比較的多いと聞く。わしもその一人じゃ。しかも新聞、今の時代ならばスマホか、それらを持って入らないと落ち着かないのじゃ。
ある時、トイレで新聞を、読むでも無く目の前に広げていた時、ふと「鷹狩り」のことを思った。伝書鳩の飼育禁止という歴史上の事実を考えていた時の事だったかのう。「鷹狩り」も江戸時代まで、一般人に禁じられた遊戯の一つだったからじゃ。
早速、国民百科事典を開いてみたが、それを見て驚いたのじゃ。そこには次のように書いておった…。
「鷹狩り―、飼いならした鷹や隼を空に放って、鳥を捉える狩猟。古代オリエント、ギリシャ、ローマで行われていたが、元はインドに発するという。フランスでは五~八世紀の頃、貴族に流行し、英国では九世紀の中ごろから、盛んになったが、十七世紀後半の銃猟の流行によって衰えた。マルコポーロが伝える、フビライの鷹狩りは、4頭の象の背に美しい小屋をかけ、それに乗ったフビライが12羽の鷹をそばに据え、1万人の勢子をひきつれた、壮大なものであった。…中略…日本書紀によれば、日本へは大陸から伝わって、仁徳天皇の時代に始まったといわれ…中略…平安時代の源斉順は鷹狩りの名人で、鎌倉時代には多くの流派が生まれた。江戸時代の大名には…中略…訓練は小鴨をおとりにとらえ、呼子を吹き、鳩を投げて行う…後略」。
なんと、鳩の記述が出てくるのじゃ。では次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)