連載3-20、日本鳩レース界の歴史
国内への渡来 その四
さて、前回までのような推理を進めてくると、最初の仮説、道義を旨とする儒教の感化を受けていた当時の日本人は、「ヨーロッパ人とは異なる正義感と潔癖感をもっており、体質的、感情的に伝書する鳩の導入を拒んでおったと考えられる。
それは、後の禁止措置にまでつながっていたのだ…」とするような感傷は、きっぱりと捨てたほうがよさそうじゃ。
これは、江戸時代に入る約300年も前のことじゃからのう。
この新しい推論を立証する資料は、何回も言っている通り、無い。むしろ無さ過ぎる。
資料だけを頼りにしなければならないのならば、日本での伝書鳩の飼養は、中国と比較して900年近く、ヨーロッパとはモテーヌ城攻防戦から数えるなら1600年以上も、第一次十字軍からとしてみても、400年以上も遅れておることになる。
これは中世以来の他の文明の伝来速度と比べて、はるかに遅く、どうも合点のゆかぬことになるのう。
またわしは、資料が無さ過ぎることに、なお疑念を感じておる。何か見逃しやすい隠された秘密が、その長い年月の間に存在するような気がしてきたのう。
そこで、元寇をジンギスカンの遠征とともに、考えてみたのじゃ。
元寇で経験した新兵器や新戦術の恐ろしさの中に、鳩による神秘的、魔術的な通信方法の威力も含まれて追ったに違いないと思うのじゃ。
時の為政者・鎌倉幕府は、そのため故意にこの恐怖的な通信手段は、報道管制を引いて秘密とする一方、手に入れた鳩を独占して秘匿する必要に迫られたのではあるまいか。
極秘裏に飼育研究され、局地的に飼養しておった鎌倉幕府の伝書鳩は、やがて室町幕府の継承するところとなり、さらに戦国大名たちに引き継がれていった…、と考えるにさしたる無理はあるまい。
一般庶民の伝書鳩の飼育は禁止されたであろうし、それが明治維新による解禁まで続いたのも当然と考えられるのう。
自然発生から次第に改良されて、庶民の間でも飼育されておったヨーロッパでは、第一次十字軍の頃から1789年のフランス大革命まで、王侯貴族以外の伝書鳩の飼育は禁止されておった。
しかし発生過程が過程であったため、報道禁止まではできず、歴史上にも記録はいくつか残されておった。
日本では、渡来が元寇に際してとなると、きっかけがきっかけだけに、また在来種としての優れたものの存在がなかった…などの状況もあって、厳重に報道規制し、歴史の表面に表れることがなかったと考えれば、江戸時代に至るまでの空白は、むしろ納得できるような気がするのう。
では次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)