連載3-19、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

国内への渡来 その三

前回の続きは、元寇の話からじゃったな。

モンゴル軍は、東ヨーロッパや中央アジアなどの諸国への遠征の先々で、敵方の鳩による通信に悩まされた体験を持っていたに違いないぞ。

騎馬民族が得意とする騎馬戦法で、これを排除し得たとしても、鳩たちはジンギスカンをして、しばしば窮地に陥れたであろうことも想像できる。

なにしろ、すでに記したとおり、攻略国のひとつであったバビロニア王国では、すでに各都市を連絡する鳩通信網がめぐらされており、郵便配達のように書信が伝達されていたというのであるから、たまったものではないのう。結局、このバビロニアの官営事業であった鳩通信網は、モンゴルの侵略によって廃絶されてしまっている。

それより少し前の第一十字軍(11世紀末)の頃から、この地方でも一般人による伝書する鳩の飼育は禁止されていたと思うので、バビロニアにおいては、ジンギスカンによる官営鳩通信組織の根絶によって、この種の鳩は抹殺されたといってよいじゃろう。

モンゴルが単なる騎馬民族、あるいは遊牧民族として、常に移動の連続であるのならば、伝書する鳩の有用性は低いのう。しかしモンゴルが、やがて各地に定着を始めると、鳩の見直しがなされるはずじゃ。

1271年、モンゴルの本流は国名を元と改めて、中国大陸の中原に位置することとなった。散々、苦汁を舐めさせられた伝書する鳩の効用に、ここで改めて注目したのではないかのう。

その頃になると、マルコポーロに代表されるヨーロッパ人の東アジア旅行も見られるようになり、シルクロードの駅伝式の往来が、少しずつ増えていったのじゃ。こういった世界情勢下で起きたのが、元寇の役であった。

中国と朝鮮の連合軍を迎えた日本軍は、九州北岸で苦戦を強いられ、二度とも、かろうじて台風によって、これを撃退したわけじゃ。

「連合軍は、新兵器を繰り出し新戦術によった…」と、歴史の本にあるが、連合軍の軍船に移動鳩舎が設置されていなかったとは、にわかに自信をもって断言できぬじゃろう。

わしはこの苦戦において、日本軍は敵方のあらゆる新兵器や戦術を吸収しようと、躍起になったに違いないと思うぞ。その中には、軍船間、軍船と地上間、あるいは軍船から兵站地の朝鮮半島間を飛翔した軍用鳩がおったかもしれぬ。そのうち何羽かは当然、日本軍側の手に入ったであろう。それは、バビロニアなどの鳩の血統に相違ないじゃろう。

つまり、カワラバトなど半野性的な鳩ではなく、第一次十字軍以来、ヨーロッパや西アジアで歴戦した伝書する鳩の血を引いたものが、日本に到来したのはこの時期と考えたいのう。

以上が、江戸時代以前に伝書鳩が入っていたとする根拠じゃ。

では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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