連載3-6、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

レース鳩への進化 その三

前回は、野禽としてのカワラバト、半野禽としてのドバト、そして家禽としての家バトの3種が、明瞭に分類できるようになったという話じゃったの。カワラバトの生息地もこれまでに述べた通りじゃ。まだ日本にはおらぬ。では、順序を追ってドバトの日本伝来を考えてみるかのう。

カワラバトの原産地であるパレスチナ周辺に発生したドバトの原点ともいうべき鳩は、帰巣力と馴致しやすいことを買われて、世界各地に散ったのじゃ。現在、世界各地でみられるドバトが、ほとんど同じ形態をしているところから考え、人為的な改良はくわえられず、餌付けや営巣場所を与えられる程度で野放しにされ、半家禽状態のまま伝わったとみるべきじゃのう。日本においては、6世紀の半ば、仏教の伝来とともに、持ち込まれたのであろう。

鳩の性質は実に可愛らしく、ノアの箱舟の伝説がイメージづけたように罪なく穏やかで、平和のシンボルとしての考えが強く、卵が「夫婦和合の卵」であったり、むせばないトリということで「鳩杖」が作られたり、鳩の繁殖を「家運隆盛」と結びつけたりする風習があったものじゃ。また万葉集でも歌に詠まれるなど親しみ深いもので、それまで鳩といえば、山鳩と総称される野生種ばかりであったが、仏教とともに瑞鳥として持ち込まれたドバトが、日本人の心に神仏のお使い鳥として定着するのは容易だったことじゃろう。

ドバトは、当時の日本人にとって、むろん希少価値があったのかもしれぬ。そのためか、神社仏閣のこれらの鳩たちは、かなり手厚い保護を受けることになるのじゃ。

また世界各国で鳩が食用にされるのに、日本では本来、食用鳩である種でも食べる習慣がないのじゃ。これはやはり、ドバトが渡来する以前から瑞鳥として、また渡来後も宗教的な意味合いが深かったことに起因していると思われるのう。

その他、朝鮮半島の三韓の時代に渡来したとする説もあるぞ(加茂儀一著「家畜文化史」1973年版)。この後代は大和、飛鳥時代にあたり、だいぶ古い時代じゃの。敏達天皇(572年即位)に始まったという「放生会(ほうじょうえ)」(捕獲した魚や鳥獣を野に放し、殺生を戒める宗教儀式)でも、ドバトが使用された説もある。

明らかに、現在はドバトと呼んでいる鳩が記述に現れるのは平安時代の「源氏物語」で、「伊閉波止」と家鳩を表現する文字があるのじゃ。

日本では、これら渡来のドバトを通信連絡網用に改良しなかったようで、江戸時代に入るまで、鳩による通信の記録はないじゃ。

では次回から、巌鳩を主体としたカワラバトの改良によって、レース鳩の原型ができるまでを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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