連載3-7、日本鳩レース界の歴史
レース鳩の前身 その一
すでに述べたように、鳩は数千年前から相当にあちこちで、通信に使用された形跡があるが、いずれもほんの思い付き程度のもので、きわめて断続的なものじゃった。
そのため、計画的な改良や通信施設としての馴致なども行われず、あまり鳩の性能向上は見られなかったのじゃ。当時は、自然淘汰や偶然の改良によって鳩の通信能力が伝えられてきたに過ぎないといえるのう。
紀元前5世紀ころになって、初めてギリシャ人がこれに着目したのじゃ。年代が下がってローマ時代、十字軍の遠征となってから積極的な改良の対象となったが、近代的な改良の手が加えられるのは、19世紀末の独仏戦争(プロシャとフランスの戦争・明治3年~4年)の頃からじゃ。戦争中、鳩は公文電報15万通、私報電報100万通の他、若干の郵便為替を送るなど活躍したぞ。
この戦いでフランス軍の鳩、いわゆる軍用鳩が世界各国の注視の的となったが、1871年から組織的に飼育を始めたドイツを例にとってみても、民間における飼育を奨励した結果、1897年には国内に516の飼育団体ができ、戦時に軍用鳩となって動員できる数は、20万羽に達するという隆盛ぶりじゃった。
軍用鳩が最も華々しく活躍して、世間の耳目を集めたのは、第一次世界大戦においてじゃ。この大戦で各国は競って軍用鳩を活用し、いずれも相当の成果を収めたが、特に偉勲を奏したといわれる、ベルダン要塞戦における一例を昭和6年刊の「鳩」(松本 興著)から抜粋してみるぞ。
「1916年6月5日、ベルダン堡塁は、ドイツ軍の攻撃を受けて、その堡塁の上部を奪取され、約600人の負傷者を擁して地下室に固守したが、あらゆる通信機関はことごとく破壊されて用をなさず、救援を乞う方策は全く尽きた。そのとき、ただわずかに1羽の伝書鳩がこの地下室に残されてあったので、レーナル大佐(堡塁の司令官)は、この可憐な鳩に600の生命を託して、最後の報告を発し、救援隊の到着を待ったのである。鳩は毒ガス及び煙幕のなかを翔破し、首尾よく伝令の任務を遂行した。そして、600人の生命を救助したのである」。
このような事実の積み重ねによって、軍用鳩の利用価値は世界各国の認めるところとなった。それ以後、その飼育方法や訓練方法などが、なお一層、秩序的に研究され、使用方法や範囲も次々と拡大されていった。やがて、鳩による移動通信、往復通信、夜間通信といった訓練方法も案出され、未曾有の盛況を現出することとなった訳じゃ。
では次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)