連載3-3、日本鳩レース界の歴史
レース鳩以前 その二
レース鳩は、主として谷間や川辺などに棲息していたカワラバトのある種のハトと、主に岩間に巣食っていた巌鳩との単純な交配によって出現したと思われる。帰巣性と人間との親和性に富むこの新種は、その後、急速に人とのつながりを深めていったのじゃ。
ただし、創世記第8章第8節によると「ノアは洪水後40日に、方舟の窓から地上の水の引き具合を確かめようとハトを放したところ、夕方になってそのハトが帰って来たが、その口にオリーブの葉をくわえていた。それにより水が引き始めているのを知った」とあるし、「エジプトの第5王朝ころ(紀元前約3千年)には、すでにハトを飼養していた」という文献もあり、この新種が出現した正確な年代はつまびらかになってはおらぬ。
やがて、パレスチナ、ペルシャ、インド、中国辺りに棲息することになったこの新種じゃが、注目したのは、ギリシャのようじゃ。ギリシャへの伝播は紀元前5世紀頃であったらしい。ギリシャ人たちは独特の性能を持つハトたちを生活の中はもちろん、軍事面でも利用しようと考えて導入したようじゃ。そのため、盛んに改良もおこなわれておる。
やがてギリシャを含め、ヨーロッパの各地を征服したローマ時代がやってくるが、ローマ人たちは、征服地の各所に鳩舎を作り、駅伝の要領であらゆる情報を本国のローマに送り届けておった。ほぼ同時期の紀元前44年、現在のイタリアのモテーヌ城で敵に囲まれたブルチスが、ハトの脚に親書をつけて放ち、救援軍を得たという話も伝わっておる。このようにして、ハトによる通信はヨーロッパ全土に広がっていったわけじゃ。
しかし、ハトが本格的に軍用通信手段として注目を浴びるようになったのは、第一次十字軍(1096年~1099年)以後のことじゃ。空軍の通信方法である軍用鳩を駆使した地元のイスラム教徒軍は、この方法を利用できない遠来の十字軍をしばしば悩ませたというぞ。
ハトを平時の文通に利用する習慣は、メソポタミア地方で盛んになったが、バビロニア王国では紀元1174年に各都市を連絡する通信網があり、郵便配達人のようにハトが活用されておった。これが、西方諸国へ普及していったのじゃ。
しかし通信に使用されていたハトは、まだ性能が劣悪なもので、新種が改良されると各国が争って入手し、さらなる改良が加えられていったのじゃ。
やがて品種の改良も各国お抱えの専門家にやらせ、次の戦いには、その新種を活躍させては戦いを有利に導くという、文字通り、飛行機のない時代の空中戦が行われる時が来た訳じゃの。果ては、敵のハトを盗み出して種鳩に使うというスパイもどきの行為も横行する有様じゃったらしい。
では次回、その時代の各国が狂奔したと思われる鳩の品種改良の経過を語るとするかのう…。
(この稿、続く)