連合会便り「山形南部連合会」(山形地区連盟)

(イラスト/わたなべ ふみ)
日本鳩レース協会は、連合会員と賛助会員の2種類の会員で構成されています。個人で種鳩を飼育し、国際委託鳩舎に選手鳩のヒナを預けて委託レースを行う賛助会員に対して、連合会員は各連合会に所属し、種鳩及び選手鳩を飼育・調教しており、国際委託鳩舎での委託レースはもちろん、自らの鳩舎で各団体が主催する鳩レースに参加できます。連合会は、レース鳩の飼育者、またはレース鳩の関心を持つ方々が組織する25名以上の団体で、年の作出羽数が500羽以上あることが条件。連合会は全国各地にあり、現在は約1万人の会員数が、レース鳩の飼育・調教とレースを楽しんでいます。当協会では随時、連合会員、賛助会員の入会を募集しております。

《連合会の構成》

発足年は昭和45年。最大連合会員数は、発足当時で66名。現在の会員数は31名。

《地形・帰還コースの特色》

当連合会の会員は、山形県の南部にある南陽市、東置賜郡、米沢市を中心に鳩舎を構えています。いわゆる米沢盆地と使用される場所に位置し、南には2000m級の吾妻山脈、飯豊山脈、西に朝日山系、東は吾妻山系、蔵王山系と山岳地帯に囲まれた鳩レースの難所となっています。

《強豪と飛び筋》

当連合会は地形的に厳しい地域のため、どの鳩舎も強豪といえます。皆、情熱を持って飼育しているところがポイントです。また、記録を残した鳩としては、増渕良明鳩舎作翔で、第12回北日本グランプリレース総合優勝(1975年5月11日開催)を成し遂げた「まほろば号(72ME1134 BP ♀)」がいます。このトリは、当連合会において最優秀鳩賞の第一号でもあります。現在もこの「まほろば号」のラインは、全国各地で活躍しています。

《歴史や特徴》

当連合会は、山形連合会の指導の下、昭和45年11月24日に設立されました。当初は小・中学生のジュニア会員も16名おり、秋の200Kでジュニア選手権レースを行い、若手を育て、大人の会員達とも対等に戦っていました。このことが会員全体の士気の高揚につながり、当連合会を大きくしたのではないかと思います。なお、現在も当時のジュニアだった会員が3名、在籍しています。

《地元のお国自慢》

当地は、天下分け目の関ヶ原の戦い以降、米沢藩として上杉家が治めてきました。上杉家の家臣「直江兼続」(注1)はNHKの大河ドラマの主人公になったこともあり、有名です。また後世の江戸時代には、上杉家の莫大な借金を返済した「上杉鷹山」(注2)が有名で、米国の故・ケネディ大統領もこの人物を尊敬していたそうです。

名所としては、南陽市内にある「熊野神社」(注3)が挙げられます。

 

注1=直江兼続は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、米沢藩の家老です。生誕は諸説ありますが、越後上田庄で生まれたそうです。天正6年(1578年)、当主の上杉謙信の急死後に起こった上杉家の後継者争い「御館の乱」が収束。戦後の天正8年(1580年)から、後継者となった上杉景勝への取次役など側近として活動しています。天下分け目の関ヶ原の戦いの時は、最上義光と戦い、この戦は「北の関ヶ原」と呼ばれています。義に厚かったといわれており、一般的に「義の人」として知られています。
注2=上杉鷹山(上杉治憲)は、江戸時代中期の大名で、米沢藩の9代目当主。領地返上寸前の米沢藩を再生させるきっかけを作り、江戸時代屈指の名君として知られています。上杉家は、18世紀中頃には借財が20万両(約200億円)に累積していました。鷹山は倹約や新たな有能な人材登用で、同藩の借財を完済させています。
注3=「熊野神社」は、山形県南陽市にある神社で、通常は、「熊野大社」の通称が用いられています。和歌山県の「熊野三山」、長野県・群馬県の「熊野皇大神社」と並び、日本三大熊野の一つとされています。

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