レース鳩と鳥インフルエンザウイルス ー社会と共存する鳩レースを目指してー
第151回学術集会は、東日本大震災の影響で中止になりましたが、家禽疫病学分科会のポスター発表により講演要旨集に「鳩のH5N1亜型高病原性鳥インフルエンザウイルス感受性及びウイルス排泄」が収録されています。
この実証実験を行ったのは、農林水産省が所管する独立行政法人農業・食品産業技術総合研究機構の動物衛生研究所(茨城県つくば市)チーム。さっそく同研究所を訪れ、お話を伺いました。応対して頂いたのは、ウイルス病研究チームの中村菊保上席研究員と山本佑研究員のお二人。鳩を使った実験では、山本さんが中心となりました。
ニワトリへの感染経路を探る
農林水産省は、平成19年に高病原性鳥インフルエンザ感染経路究明チームを発足させ、ニワトリにウイルスを感染させる媒体を突き止める調査を始めました。
ウイルスの伝播ルートとして山本さんは図1を示してくれましたが、このうち動衛研では野鳥や小動物を対象とした実証実験を行ってきました。これまでにアイガモ、マウス、スズメが使われ実証実験も出ていますが、それは後に紹介することにします。したがって、今回の鳩による実験はその一環として行われたものです。
研究チームの実験は、同年11月にレース鳩を用いて行われました。まず「鳩が家きんへのウイルス伝播経路となるか」をテーマに、「鳩は感染するか」、「感染症状を示すか」、「ウイルスを排泄するか」を調べるため、2種類の実験を行いました。
実験は、いずれもアイソレーターと呼ばれる外部と完全に遮断された装置内で行われます。空気の流入出を調整し、実験用の菌やウイルスが外に漏れないように厳重に管理されています。
2種のウイルス株の量を変えて接種(実験その1)
実験には、3カ月齢以上の健康な鳩20羽が使われました。5羽ずつ4グループに分けて、宮崎県の鶏から採取した「宮崎株(講演要旨集では清武株)」と秋田県のハクチョウから採取した「秋田株」のウイルス2種(いずれも強毒性のH5N1亜型)をさらに異なる量のグループに分けて摂取しました。そのグループ分けを図2に示します。低容量グループの10の3乗に対して、高容量グループは10の6乗、つまり低いグループの1000倍に当たる量が摂取されています。
アイソレーター内で14日間の観察とその後の検査を行った結果、次のことがわかります。
全ての鳩は症状を示さなかった
高病原性鳥インフルエンザに感染した家きんは、初期症状として元気消失、食欲、飲水欲減退を示し、やがて腫れや皮下出血を引き起こして死亡に至ります。しかし、20羽の鳩は初期症状さえ示すことがなく元気だったそうです。
経鼻接種されたウイルスが、鳩の体内からどのような形で排泄されるのかは重要な問題です。鳩が他の鳥類や動物にウイルスを伝播するか、しないかの証になるからです。実験では、糞便、口腔、残った飲用水にウイルスが存在するか調べられました。
その結果、宮崎株を高容量接種したグループ2羽の口腔から、接種後2~4日後に微量のウイルスが検出された以外は、残りの18羽からはウイルスが排泄されなかったことがわかりました。つまり、鳩がウイルスの伝播経路となる可能性は、極めて低いといえます。
多くの場合、体内の臓器ではウイルスは検出されなかった
次に臓器の病理検査を行い、抗体の有無が調べられました。結果は、体内の臓器からウイルスは検出されませんでした。ただし、一部の鳩からは抗体を検出しています。これはウイルスの感染した証拠で「鳩は鳥インフルエンザウイルスの感染しない」と言い切ることができない事も、前もって認識しておく必要があります。
鳩とニワトリを同居させる(実験その2)
いよいよ研究チームが主目的とする実験です。ウイルスを摂取した鳩とニワトリを狭い飼育施設に同居させて、ニワトリが感染するかを調べます。
まず、宮崎株を高容量接種した5羽の鳩をアイソレーターに入れます。24時間後に健康なニワトリ5羽を入れ、14日間観察しました。鳩とニワトリが同居する光景は、他では見る子Tができないと思い、生活の様子を山本さんに伺ってみました。
飲水器は中央部に置いていたので、鳩とニワトリが共用していました。鳩とニワトリでは与える餌が異なるため、自然とそれぞれのグループが給餌器の近くに集まるようになります。ただし、ニワトリは好奇心が旺盛なため、鳩グループに近づいて追い払われることもしばしばだったそうです。つまり、飲み水を共用し、身体部分の接触があったことから、かなり濃密な接触が行われました。
鳩からニワトリに伝播しなかった
2週間の同居生活を終えて判明したのは、まず鳩は症状を示さず、飲用水からウイルスが分離されなかったこと。また重要な点として、ニワトリは実験終了時まで生存し、ニワトリへの感染は成立しなかったことでした。
この結果は、ウイルスを摂取した鳩からニワトリを感染させる程度のウイルスが排泄されなかったことを示しています。ただし、一部の鳩でウイルス性脳炎や抗体検出が確認されました。このことから、研究チームは「鳩は感染する場合もあるが、症状は重篤化しない」と報告しています。
ここで、ウイルス感染について考えてみます。感染とは、菌もしくはウイルスなどの微生物が、特定の感染経路を通って宿主に侵入し、本来ならば無菌であるはずの部位に定着することをいいます。例えば、サルモネラ菌が人間に感染するルートとしては、手→食物→口→消化器官→腸粘膜→血流という流れになります。この間、宿主のさまざまな生体防御機能(体内の殺菌成分、消化液、白血球など)の攻撃を受けるわけですが、生き残った菌が定着して増殖を始めるのです。
ウイルスの場合も同様で、感染の第一ステップは、ウイルスが宿主となる体の細胞表面に付着することです。厳密には細胞表面に露出している「標的分子(レセプター)」に吸着するのですが、人間の場合のレセプターは気道上皮細胞にあるといわれ、細胞内に侵入すると増殖を始め、一気に数を増やします。
余儀になりますが、風邪(インフルエンザ)が流行する季節になると、よく「外から帰ったらすぐうがいをしましょう」といわれます。しかし、ウイルスが付着・侵入する時間は極めて短く、5分とも10分ともいわれています。家に帰ってからでは手遅れなのです。
とはいえ、空気や飛沫によって感染するウイルスの量はそんなに多くないようで、むしろ手から口に入る量の方が多いことが、最近の調べで分かっています。大勢の人が触るドアノブや電車のつり革などから移って本人の口へというルートが最も危険だそうです。したがって、外から帰ったら、まず石鹸で手を洗い、それからうがいをするのがベターといわれています。
ドバトも全て陰性という結果
話を本題に戻します。ウイルス感染について長々と触れたのは、ウイルスが付着することと感染することは異なることを説明したかったからです。自然界にあって、ウイルスが人や動物、鳥類に付着する機会は、時と場所を問わず限りなくあるのです。もちろん、レース鳩やドバトにも当てはまります。
平成16年(2004年)は、日本で79年ぶりにニワトリに鳥インフルエンザが発生しました。その後、各地に広まり家きんにとどまらず、野鳥にも被害が及びました。環境省は、同年に全国各地のカラス、ドバト等を捕獲して鳥インフルエンザウイルスに関わる調査を行いました。検査の結果、カラスを含め、ドバト274羽はすべて陰性を示し、高病原性鳥インフルエンザウイルスは検出されなかったと報告されています。
動衛研の研究チームは、過去に他の鳥類、動物による実証実験を行ってきました。そのなかで、ウイルスを摂取したアイガモやスズメを用いた実験では、大量のウイルス排泄が確認されたとのことです。しかも、アイガモと同居したニワトリは、全て死亡したと報告されています。
この他、経鼻摂取したアイガモは致死性が低く、接種アイガモと同居したアイガモは全て生存したこと。経鼻摂取したマウスは致死性が高いことが報告されています。
また、山本研究員は別の調査研究で、国内で分離されたウイルスがアイガモやガチョウの羽上皮細胞で増殖することを突き止めています。このことから、感染した水きん類の羽根が、排泄経路になっている可能性があるとしています。さらに、東南アジア、ロシア、ナイジェリア他では、野外の鳩類の轢死体からH5N1亜型ウイルスの分離報告があったことにも留意する必要があるとのこと。実験感染と野外感染の違いによるものか、ウイルスを検出した現地の鳩類の健康状態はどうだったのか不明なので、詳細なデータ入手と分析が急がれるとのことでした。
貴重な実験データを有効に
動物衛生研究所チームによる実証実験は、産業動物や家きんとして重要な位置を占めているニワトリが主役でした。鳩はウイルスがニワトリに感染する経路を究明するための一試験対象物に過ぎませんでした。しかし、その副産物といいましょうか、レース鳩と鳥インフルエンザに関する実験データを日本鳩レース界にもたらしてくれました。私たちは、こちらから得た鳥インフルエンザに関する知識と、これまで身に付けてきた鳩病に関する知識を併せ、これからの鳩飼育に応用したいものです。