連載3-18、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

国内への渡来 その二

さて前回は、6世紀末の蘇我氏と物部氏との勢力争いの末、勝利した蘇我氏の一統は、仏教文化を強く推進し、敗北した物部氏の一統の中にも、氷川神社を創設して、鳩との縁を持つ一統もあったとの話じゃったのう。

奈良時代になると、全国に国分寺を建立する詔(741年)が発せられるなど、神社仏閣を介してのカワラバトの地方拡散は進んだとみるべきじゃろう。こうして性能の優れた伝書する鳩が導入されるための素地は、着々と進んでいったのじゃ。

第二に挙げられる考察は、元寇の役という国難である。13世紀末の元寇という大国難が背景となって、伝書する鳩の導入に対する気運が醸成されたのではないかということじゃ。

仏教文化の到来以後も、遣隋使・遣唐使が次々と中国文明を持ち込んで、使いする鳩の知識もかなり深まっていたところ、平安時代末期(12世紀前半)に発生して力を得つつあった武士団が軍事用に着目せぬわけがないのう。

源氏初期の頭領であった源八幡太郎義家が、鳩を「お使い」とする八幡宮をすすんで敬拝したのも故のないことではあるまい。

また、この平安時代から創建され始めた各地の八幡宮の縁起を見ると、次のようなことを書いておるぞ。

「八幡宮の祭神は応神天皇である(史実上に現れる最初の天皇)。皇統第十五代を継がれた御方、神功皇后の御子にましまして、三年の間、皇后の体内にあって三韓(当時の朝鮮半島の三国。任那・新羅・百済)を征伐、凱旋なされてから出生あらせられた。天皇に即位なされてから、各地の叛徒を討ち平らげ、歴代天皇中、最も武威広大のお方でございます。よって後年、武神としてお祭申し上げました。(中略)それより八幡の神と申し上げ、また八幡大菩薩とも申し上げる」。

ここに新羅との因縁が出てくるのう。以前、「忍術は朝鮮半島の新羅からの帰化人によってもたらされ…」と紹介したが、これが、ちょうど同じ時代なのじゃ。応神天皇は、新羅を見習って、鳩による通信の技術を活用し、戦勝しておったかも知れぬし、忍者が鳩を使わなかったという考えの一角を突き崩すことができるぞ。

少し横道にそれてしもうたが、ともかく、そうこうしておる時の元寇じゃ。1274年の文永の役、1281年の弘安の役は、日本中を震撼させたのじゃ。

1206年に即位したモンゴルのジンギスカンが、東ヨーロッパから中央アジア一帯を席巻し、やがて中国大陸に興した、元による我が国の国難じゃ。

おっと、頁か亡くなったようじゃな。では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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