連載3-11、日本鳩レース界の歴史
日本への伝書鳩の渡来 その一
日本にはカワラバトの一種である巌鳩(イワオバト)が棲息していなかったことは、すでに述べたはずじゃ。「家禽化されたそれが、家鳩(イエバト)となって入ってきたのは、おそらく百済からの仏教の伝来と共にであろう…」という通説も述べたのう。
実は、日本ではこうして導入された家鳩を淘汰改良して、信書などを運搬させるためのハトを作り出した形跡は、全くないのじゃ。
そうなると、江戸時代の文献などに散見される、かなり高度な通信の実態を持つハトそのものは、その時代以前に、どこからか導入されていなければならぬ。
では、ここで簡単に世界各国での伝書鳩(もしくは軍用鳩)の存在を、少し異なる角度からもう一度振り返ってみて、日本への伝播が可能な経路を推察してみるかのう。そうしてみることが、巌鳩から、そして新種のカワラバトからも脱皮して、単なる家鳩の境を越えた伝書鳩が、いつどのような順路で日本に導入されたかを探る唯一の方法じゃろう。
さて、古代ヨーロッパのベールの中をのぞかせるギリシャ神教伝で、ビーナス(女神)は常にハトを手に携えておる。これによって、ハトは民衆や貴族に尊崇され、「女神の使者なり」と信じられてきた。これにはハトが平和的なイメージを与え、ただ人間への親和性に富むトリであったというばかりでなく、すでに「使いをする鳥」という実際面までが組み込まれていたように思われるが、いずれにしても、この時代の伝説のハトは、家禽化されたカワラバトの域を出るものではないのう。
巌鳩の血を濃く引いたこのカワラバトに、最初に積極的に目を向けたのはギリシャ人じゃ。時代の変遷とともに、ギリシャ人の意図するところの意思は、ローマ人の引き継ぐところとなっておる。
そしてハトは、吉祥のトリと信じられ、神聖であるべき建造物や礼拝堂、神殿などに好んで表徴として、鳩の彫刻や塑像に表現されておる。ローマ時代初期のモテーヌの戦いでは、既述したとおり、すでにハトによる通信も行われておった。しかし、まだこれらのハトも家禽化されたとはいえ、野生種の形態、能力からさして逸脱するものではなかったであろう。
以後、次第に野生種に磨きがかけられ、家禽化や改良のため、少しずつ人為的な手法が加えられたことは確かで、ローマ時代の最盛期から後期にかけては、広大な征服地間や本国との連絡方法として、駅伝方式による鳩通信のシステムが、ようやく日の目を見るようになってきたわけじゃ。
では、また次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)