連載3-8、日本鳩レース界の歴史
レース鳩の前身 その二
前回に述べたように、鳩通信は盛況をきたしたわけじゃが、一方で、まだ欠陥の多かった科学的な無線などの通信技術も飛躍的な向上を見せておった。これが、当時の花形であった軍用鳩や伝書鳩の役目に、取って代わることになったのは、やむを得ないことじゃのう。
第二次世界大戦を最後に、大規模な軍用鳩の飼育は見られなくなり、朝鮮やベトナムといった、その後の戦争でも一部に使用されたに過ぎなくなったのじゃ。
ところが、科学的な通信機器には故障もあり、通信網の不十分さもあってのう。当時は民間団体による緊急災害時の鳩小屋の設備などもあったが、現在では各国とも、主としてレース鳩としての利用にとどまっておるようじゃ。
いずれにしても、これらは鳩が自分の巣に帰るという習性を利用して、それを人為的に高めたがための利用価値じゃ。ゆえに現在では、1000キロもの遠隔地から、一定の確率をもって帰還し、分速が1500メートル(時速90キロ)ものスピードを出すまでに進化しているのじゃ。
大抵の動物には、自分の巣の位置を知る能力が備わっておる。特に鳥類の場合は、ほとんど共通の性質であるが、レース鳩ほどに巣に対する愛着が強く、方向判定と飛翔の能力に優れた鳥はおるまい。そこには、鳩の品質改良にそそぎこんだ、人類の長い努力の成果を見ることができるのじゃ。
さて、パレスチナ地方で自然的に作られることとなった巌鳩を主体とするカワラバトの新種は、まずシリアあたりで原始的な通信の手段となり始めたであろうことは、すでに述べたのう。これはギリシャで改良がくわえられ、ローマ時代から十字軍遠征の時代と、長い年月を経てヨーロッパ全域に伝播していったのじゃ。
その間、少しずつ鳩の形態も性質も、それにつれて能力が変わり向上していったわけじゃが、16世紀にはペルシャ鳩が最高品種といわれる時代になっておった。
ヨーロッパ各地で飼育された鳩たちは、異なる気候風土や交配品種や馴致方法などにより、性質や能力や外貌に、相当な相違点があったであろう。幾多の人為的に作出された品種の鳩たちが、歴史の中で生まれ、消えていったであろうが、中でも現在のレース鳩に強い影響を与えるべく存在した一つの品種がペルシャ鳩じゃ。
古い文献になるが、武知彦栄著の「伝書鳩の研究」の文中に、ペルシャ鳩(Le messager Persan)の外形について述べた部分がある。
おっと、どうやら頁が残り少なくなったようじゃ。では次回、この続きを語るとするかのう…。
(この稿、続く)