連載3-2、日本鳩レース界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

レース鳩以前 その一

さて日本の鳩界を語る上において、まずは、レース鳩が出現するまでの過程を概念的に知っておく必要があるじゃろう。

まず動物の分類から見ると、脊椎動物→鳥網→新鳥亜網→深胸類→鷸型目→鳩鴿亜目→鳩鴿科という順に細分されてゆくのじゃ。その鳩鴿科の中には、地鳩亜科、岩鳩亜科、樹鳩亜科があり、カワラバトは岩鳩亜科に属することになっておる。

鳩鴿科に属する「ハト」は500600種にものぼるが、その中でも地鳩亜科の雉子鳩、白子鳩、紅鳩、鹿の子鳩、金鳩、岩鳩亜科の高麗鳩、尾長鳩、樹鳩亜科の青鳩などは、日本にも棲息するので知る方も多かろう。

ハト族はもともと種類が多いところに、他のハトとの交配が容易なので、人工的に多種、変種が作られやすく、現在のように多種類にのぼっておるのじゃ。

レース鳩の始祖は、巌鳩(イワオバト)といわれておる。巌鳩はカワラバトの一種で、主としてシリアやエジプトに生息していたが、パレスチナの深い谷間の洞穴などで繁殖していた他のカワラバトとの交配により、少しずつ、方向感覚にすぐれ、他のカワラバトより帰巣本能の強いハトが作られてきたらしいのう。とはいえ、わしらが飼育しておるレース鳩は、能力は言うに及ばず、形態も相当に違うハトであり、ここは巌鳩の新種とでもいっておこうかのう。

西アジアの遊牧民たちの単なるマスコットのようなものであった鳩が、この新種の出現によって、部落内での通信や近くの部族との連絡に使えるようになり、少しずつ実用性ができてきたとみられるのじゃ。

しかし案外、飼育技術や訓練技術は高度であったかもしれぬ。なぜかといえば、遊牧民たちは、季節とともに移動するからで、移動鳩の訓練、あるいは往復鳩というべきものもあったかもしれぬからじゃ。

これらの巌鳩の新種ともいうべきカワラバトは、パレスチナ地方に広がり、ペルシャ、インドなどを経て中国大陸にまで、ほぼ自然に分布を広げていったようじゃ。これは、いずれも紀元前の話じゃぞ。

この時期については諸説があって、年代を正確に判断することは困難であるが、「オオカミ」が人間に改良され「犬」となってから12千年、猫が飼われて4千年ともいわれているから、おそらく巌鳩が半家禽となったのも、やはり今から34千年以前のことであろう。あと、形態的にはドバトに近かったであろうと考えられるのう。

おっと、そろそろ頁がなくなってきたようじゃ。では次回、この続きを語るとするかのう…。

(この稿、続く)

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