広島平和記念式典の放鳩と「ピカドンたけやぶ」

このコーナーでは、レース鳩や当協会に関する、会員の皆様から寄せられた事柄やマスメディアで紹介された事柄など、様々な情報をご提供します。

広島県広島市東区牛田旭にある何の変哲もない竹藪。こちらは「ピカドンたけやぶ」と呼ばれ、地元では有名な竹藪です。

1945年(昭和20年)の8月6日、原爆が投下された日に多くの市民が避難した場所で、広島在住の詩人・画家であるはらみちをさんが、同名の絵本を制作したことにより、その名前が広がりました。

この竹藪のすぐ横に住んでいるのが、当協会の中国地区連盟・山陽連合会に所属する阿部俊郎さん。阿部さんは爆心地から2.5キロメートルの場所に住んでおり、原爆投下の日に行われる「広島平和祈念式典」の放鳩行事には、2010年頃から毎年参加。今年ももちろん参加予定でした。しかしながら、新型コロナウイルスの影響で放鳩行事は中止。残念ながら参加は叶いませんでした。

そのようななか、広島県の地元TV番組「イマナマ!」(中国放送)が、「ピカドンたけやぶ」と平和記念式典で放鳩される鳩の取材のため、阿部鳩舎を訪問されたそうです。

8月6日の「原爆の日」に放送された番組は2年前の「広島平和祈念式典」の放鳩行事を取材したことをきっかけに阿部さんと知り合った詩人で番組コメンテーターのアーサー・ビナードさんが、阿部鳩舎の鳩の様子を見学に来るところから始まり、「ピカドンたけやぶ」の由来や75年前の原爆投下について伝える内容。

番組のラストでは、阿部さんが今年の叶わぬ思いと来年の放鳩行事に向けて、平和記念公園から鳩の訓練を行い、視聴者へ平和に向けた願いを届ける形で終了しています。また番組内では、当協会の「伊賀広島平和祈念レース」の放鳩シーンも紹介されました。

取材を受けた阿部さんは「来年以降、式典で鳩の放鳩行事が行われるかは、まだはっきりしませんが、放鳩は広島の愛鳩家の誇りと思い、体力が続く限り、協力していきたい」とのこと。これからも平和への広島市民の思いを世界へ届ける放鳩が、続けられることを願っています。

(資料提供/阿部俊郎氏・山陽連合会)

★ピカドンたけやぶ

原爆投下後、多くの市民が避難のために集まったといわれている竹藪が、広島県広島市東区牛田旭にある「ピカドンたけやぶ」(写真左)。はらみちをさんの絵本(写真右)は、「原爆投下後にこの竹藪に逃げてきた多くの人たちが亡くなり、悲しみに暮れていた中、全身にやけどを負ったかずゆき少年が、竹藪に生えていたツワブキの葉をいぶして貼って治ったことを知る」といった内容。地元では「原爆ドーム」と同様に、原爆の惨禍を象徴する場所として知られています。

取材に訪れた河村綾奈アナウンサー(左)とアーサー・ビナードさん(右)。写真中央が阿部さん
番組内の「アーサーと河村のひろしまモグリ」というコーナーで紹介(8/6放送)
広島記念公園から放鳩訓練を行う阿部さん

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