連載3-39、日本鳩界の歴史

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このコーナーは、会員の方からの寄稿や過去に掲載された本誌の記事を元に、伝書鳩及び鳩レースの今昔を鳩仙人の語り口で掲載します。本稿は本誌で連載された「日本鳩界の歴史」(81年4月から連載)を引用・改編しています。

欧州の発展 その四

伝書鳩が改良を続けている間も、世界の科学は着々と成果を重ねておった。一七五二年、フランクリンが雷雨の中での有名な実験を行い、雷が電気の放電であることを発見して以来、電流を利用しての科学的な通信方法は、急速な進歩の方向へと向かっていったのじゃ。

そもそも電気を発見したのは、紀元前六〇〇年頃といわれ、ギリシャのターレスが」コルクを摩擦して電気が現れることを発見したのが最初といわれておる。フランクリン以後、さらに一七九九年には、イタリアのボルタが電池を発明し、初めて連続的な電流を得ることに成功すると、一八二〇年の電気と磁気の間の密接な関係を示す「エルステッドの理論」を基にした、アメリカのモールスによる実用的な電信機の作成は、通信に革命な改革を起こした。

「アンベルソア種」と「リェージョア種」という近代鳩を作り出したベルギー鳩やその二大血統の洗礼を受けて、改良に狂奔するヨーロッパ各国の名血鳩といえども、一秒間に地球をナ七週半する電流の速さには、太刀打ちできるはずもないのう。

一八四〇年にモールスが考え出したモールス符号による一本の電線を伝っての電信方法が発明されるやたちまち、一八四四年にはワシントン‐ボルチモア間に電信戦が引かれ、アメリカの通信事業が開始されたのじゃ。

そしてベルギー鳩がヨーロッパ各国へ、怒涛の如く輸出され始めた一八五六年辺りには、日本においてさえも、独自の研究で佐久間象山が電信機を作っての実験(一八四九年)、薩摩の寺島宗則の電信機の作成が行われておる。ただし、日本において、電信機の実用化はその数十年後となるがのう。

このように電信機が世界を席巻し始めた頃にもかかわらず、日本ではハトによる通信が開眼してはいなかったのじゃ。幕末の頃、九州の雄藩である薩摩藩は、全てに進歩的であったはずじゃ。この薩摩においても「ハトによる通信は邪道である」といった程度の考えしか持てなかったらしいい。ただし「ハト通信は恐るべきもの」といった警戒心も捨ててはおらなかったようじゃ。そのころの同藩の実状をあらわす文献として、面白いものがある。「西郷隆盛のすべて(その思想と革命行動)」(浜田尚友著)という本じゃ。では、薩英戦争直後の描写を抜粋してみるぞ。

「文久三年六月二十七日、生麦事件で怒った英国は、軍艦を鹿児島湾に派遣してきた。英国登用艦隊所属の軍艦七隻は山川港の前に姿を現し、二十八日には谷山七ヶ島付近に投錨した。沿海の諸郷では、かねてからこのことに備えていたので、早船、早馬で鹿児島に急報する。鹿児島では、さあ来た!、の合図の狼煙が上がる…」と細やかに表現しておる。

おっと、頁がなくなってきたわい。この続きは、次回に譲るとするかのう…。

(この稿、続く)

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